松本哉「世界マヌケ反乱の手引書」出版記念トーク@福岡

28日(土)に福岡、Rethink Bookで行われた松本哉氏「世界マヌケ反乱の手引書出版記念トーク。主役の松本氏と、ゲストに「途中でやめる」の山下陽光氏を迎えてのトーク、ここ数年で一番脳みそグルングルンになるほどの面白さが詰まった2時間でした。

 

トークの前は、「いやー、もうまっちゃんと一緒にいても話すことないよ~」と言ってたヒカルさんだけど、いざトークが始まると、スピードに全く追いついていない司会(僕)を気持ちいいくらい無視して、2人が「原発やめろデモ」以降のお互いの道のりについて全速力で振り返りつつ、検証し、さらに新しいアイデアや面白い出来事を企んでいる様子が刺激的すぎて、机の隣で後藤くん(元気な大学生)と一緒にその様子をぼーっと見てた。

 

松本さんが、「数年間、ただただ酒だけ飲んで歩き回って」出会ったアジア各地のマヌケなやつらとの出会いから織り成すアジア有象無象地図を広げると、返し刀のように、ヒカルさんが全国各都道府県の平均家賃を平均時給で割って出た月の平均労働時間の日数によって投影された全く別の思考日本移住地図を語る。2人がこれまで歩いて、調べ、出会ってきた具体性と固有性だけで形作られたアジアと日本の地図が、本屋のテーブルの上でイマージュとなって交差していた。

海外にあんまり興味無いという下馬評を冠していたヒカルさんが、松本さんや僕には馴染み深いアジア各地のマヌケスポット(アークンタワーや徳昌里)について「全く新しく今知りました!超面白い!」という感じで純粋に面白がっていたことも新鮮だったし、移動の中から仕事を作り出す術についてあえて松本さんに問う場面も、全然このおっさんたちの脳みそ錆びてなくて、さらにフル回転しているじゃん、思った。

最後は、ヒカルさんの新たな福岡、謎の無料洋服交換所作戦や、松本さんが前々から話してる遠隔地の店と店を24時間移しっぱなしにする巨大モニター越し酒交流作戦、そして、日本各地のお互いのリソースを全部あけっぴろげにして、家とか店とか、仕事とか交換しつつ、各地(そして海の向こうまで)をどれだけウロウロする作戦などで盛り上がりつつトークが終了した。

この2人、一見やっていることは全く違うし、性格も違うけれど、これまで何かわけのわからない既存の社会の仕組みの中で仕切られ、繋ぎ留められてきた、人、モノ、情報をもう一度純粋循環させ、本来出会わないはずであった未知のモノたちが偶然に出会うための<流れ>を作り出すことに、両人とも尋常ならざる関心とエネルギーを注いでいる点は共通している。流れなんて起きないと思われていた場所に、流れを起こす。それが革命なのだろう。

ヒカルさんが、認知資本主義の極北にあえて全速力で突っ込んでいくことで、「ネットでほとんどの交換が可能になる現在、所与とされてきた(本当はそうではない)自我の欲望ではなく、リアルな他者の欲望に応答しつつ自分の欲望を再設定していく」そのプロセスの中に、人間の代替不可能性を見出そうとしているように見える。逆に、松本さんはあえて交換可能な労働(比較的皆が同様にこなせるゲストハウスやバーの仕事)を、異なる場所でプラグマティックに共有していく場や仕組みを用意することで、まだ見ぬコミュニズムの風を捕まえようとしている(それは、以前ブログでもし家電の部品が同じだったら、いつでもどこでも修理して直して使えると唱えていたことからも察することができる)。

でも、何より本当に2人が、この数年(特にヒカルさんが長崎に移住してからの時間)を、全速力で振り返りつつ、さらに早いスピードで今とこれからの面白い出来事を企んでいること自体が最高に面白くて、トランプの壁とかくそダサくて一瞬で吹き飛ばせるような、そんなパンクな風をビュンビュン感じた2人の対談だった。

その後の打ち上げがまたやばすぎたのだけれど、それは今度東京に行ってこっそり誰かに話したい。

韓国、チェジュ島訪問記(01)

11月18-19日の2日間、韓国のオルタナティヴ・アートスペースのネットワーク会議「2016 AR TOWN」のシンポジウムに招待され、チェジュ島に滞在しました。駆け足の滞在でしたが、島内のアートスペースを巡りました(1日目の内容については後日掲載します)。

シンポジウムの会場となったチェジュ美術館

シンポジウムの会場となったチェジュ美術館

18日 AR TOWN 初日。

チェジュ美術館(Jeju Museum of Art)を会場に、韓国オルタナティブスペースのラウンドテーブルと午後のシンポジウム。シンポジウムは、海外からはTaipei Artist Villageのディレクター、Wu Dar Kuen(台湾)、重慶のアートスペースOrgan Hauseのディレクター、Ni Kun (中国)、横浜のBankART1929のディレクター、細淵 太麻紀さん、と僕の計4人(僕だけ個人)。夕方には「2016 AR TOWN 」展覧会のオープニングが行われた。

19日 AR TOWN 2日目。

あいにくの雨だが、チェジュ島アートスペース・ツアーに参加。ここ数年増えている島内のアートスペースを一気に駆け抜けるツアーで、韓国の各都市からの参加者と一緒にバスに乗って、霧雨の空の下、島の南西部へ。島の様子はどことなく阿蘇に似ており、海に囲まれた高原のようだ。チェジュの伝統的な石積み工法で作られた石塀で区切られたみかん畑や白菜畑が延々と続く。この石塀、チェジュの溶岩石を積み上げて作られていて、お互いに隙間が空いているが、この地で年中強く吹く風によって倒されないため。風土とデザインの調和。

最初に訪問したスペースは、西の集落の中にある元倉庫を改装したギャラリー兼工房スペース「JAEJU DO JOA」 。元倉庫の中には、ジュエリー制作のための工房とカフェが併設されていた。

スペース外観

スペース外観

3年前から始まった島の空家問題に取り組むプロジェクトの一つとしてスタートした場所。他の場所は長く続かなかったが、ここはソウルから移住したデザイナーと地元の作家が共同して、海辺に流れ着いてゴミやガラクタを集め、リデザインすることで、アクセサリーやオブジェへと作り変えるプロジェクト「beachcombing」を行っている。これらのアクセサリーを販売することで、比較的安定してスペースの運営が行なわれているという。流れ着いたプラスチックやガラスを巧みにネックレスやイヤリングへと作り変えていて、思わず欲しくなる。特に、打ち上げられたプラスチックを使って作られた手提げランタンが素敵。

展示スペース兼カフェ

展示スペース兼カフェ

島に流れ着いたゴミで作られたアクセサリー

島に流れ着いたゴミで作られたアクセサリー

手作りランタン

手作りランタン

「Jaeju Do Joa」(韓国語) http://www.jaejudojoa.com/

街の方へと戻りつつ、昼ごはんタイム(トンカツ定食、何故…)。途中で通り沿いにある小さなウインドウ・ギャラリーをバスの中からさらっと眺める。

次にバスは島の中心地である「旧済州(クチェジュ)」に到着。今も、東門市場や海岸に向かって続くショッピングストリートなど、観光の中心地。東門市場近くのビルの2階にある現代アート専門のギャラリースペース「ART SPACE C」を訪問。ディレクターのAn HeyKyoungさんは、10年間ものあいだ一人でこのギャラリーを運営して、韓国の現代アートをチェジュ島の人々に紹介し続けている。過去の展覧会フライヤーの中には、韓国民衆美術のホン・ソンダム氏の「靖国の迷妄」展もあった。

「ART SPACE C」入り口

「ART SPACE C」入り口

ディレクターのAn HeyKyoungさん

ディレクターのAn HeyKyoungさん

「art space c」http://artspacec.com/

次に訪問した場所は、東門市場から歩いて5分ほどのところにある元病院。現在チェジュ文化財団と市が共同でこの建物を改装して、来年春をめどに新しい複合文化施設をオープンさせる予定。韓国のここ数年の大規模なハコモノ文化政策の潮流がチェジュ島にも、、と思ってしまう。元病院の正面に続く通りの両脇には、すでに多くのアートスペースやギャラリー、スタジオが入っている。これも市の文化政策/空屋対策の一環で、各スペースは3年間は家賃が無料でスペースを借りれるとのこと。

チェジュ文化財団の人に案内してもらう。後ろの建物が元病院。

チェジュ文化財団の人に案内してもらう。後ろの建物が元病院。

中国、重慶のアートセンター「Organ Hause」のディレクターNi Kun(左)と、台湾、Taipei Artist VillageのディレクターWu Dar Kuen(右)

中国、重慶のアートセンター「Organ Hause」のディレクターNi Kun(左)と、台湾、Taipei Artist VillageのディレクターWu Dar Kuen(右)

内部はまだほとんど手付かずのまま

内部はまだほとんど手付かずのまま

この通り沿いのビルの地下にあるスペース「ART’ SCENIC」は、ストリート・アートやサブカルチャー(ダンス、音楽も含み、韓国ではよりストリート・カルチャーという意味合いが強い)を中心に、ストリートを舞台にしたコミュニティ・アートプロジェクトを展開しているスペース。室内は黒く、壁にアナキストマークが描かれていたり、DIY的スタイルが全面に出ている。ギリシアのアナキスト・グラフィティアーテイストを呼んで壁画を描くプロジェクトについて説明してもらったりと、いろいろと面白そう。ただ、スペースはやはり市からの無償補助を受けていて、そのかわりに、月に一度ストリートでのコミュニティ・パーティを企画しているという話。個人的にもっと話を聞きたかったが、団体行動至上主義の韓国の土地柄、またの機会ということに。

「ART SCENIC」の内部。地下1階の「黒い」アートスペース。

「ART SCENIC」の内部。地下1階の「黒い」アートスペース。

コミュニティーに根付いたストリートアート的活動について説明中。

コミュニティーに根付いたストリートアート的活動について説明中。

通りに描かれたグラフィティ

通りに描かれたグラフィティ

別の建物には、先ほどの黒い雰囲気とは真逆の、子供や市民のためのアート教室が入っている。自主製作の絵本本棚に並んでいる絵本が意外とパンクな感じで良い。ここはさっと見学。

アーティストたちの陶芸作品などを販売するアート・ショップ「GAMA&JOY」や、古い伝統的な建物を使った展覧会場も。港の方へ歩いていくと古い元食堂の空屋が見えてくる。ここも「AR TOWN」の展覧会場の一つ。韓国の若手作家の展示を行っていた。急すぎる階段がパンク。

次は、またバスに乗って島の東側へ。チェジュ島の伝統家屋を利用したギャラリースペース「Yang!」へ。レジデンス、ギャラリー、コミュニティ図書館が一緒になったようなスペース。ちょうどレジデンスで滞在していたというベトナム人アーティストの展覧会をしていた。それにしても、伝統家屋を改装したというギャラリーの天井が超低い。。

チェジュの伝統家屋を改装した「Yang!」のギャラリー。

チェジュの伝統家屋を改装した「Yang!」のギャラリー。

最後に訪問したのは、海岸近くの集落の中にある、若いアーティストKang Jun Sukさんらが運営するカフェ兼スタジオ「J-VISITOR」。小さな可愛らしい庭園と、こじんまりしたカフェ兼スタジオ。描いている絵も童話の世界のようにかわいい。

可愛らしい一軒家と小さな庭園

可愛らしい一軒家と小さな庭園

若い移住者たちの新しいライフスタイルを体現しているかのよう。

若い移住者たちの新しいライフスタイルを体現しているかのよう。

カフェの中に併設されているスタジオ。お客さんが少ない日はここで黙々と作業しているという。

カフェの中に併設されているスタジオ。お客さんが少ない日はここで黙々と作業しているという。

「J-Visitor」http://blog.naver.com/jvisitor

今、韓国で最も移住したい場所として注目を集めるチェジュ島。ソウルの都市生活、競争社会に嫌気がさして、新しい、別のライフスタイルを求めて本土からやってくる人たちが年々増えている。そして、もう一つは中国からの観光客や移住者たち。中国からビザなしで渡航できることもあって、観光や投資目的で訪れる中国人の数は多く、また街の店のあちこちで中国語を見かけた。今、多くの中国マネーが島に流れ込み、土地バブル、建設ラッシュを引き起こしているという。しかし、このような急激な観光地化、投資開発ブーム、外部からの人口の流入は、島の活性化とともに地元の人たちとの新たな軋轢や格差、対立を生み出しているという話も耳にした。

今回のツアーで、確かにチェジュ島のアートスペースの活況を肌で感じることができた。ただ、この活況は韓国特有の文化政策の一過的な現象ではなかろうか、という思いも同時にあった。3年間プログラムのように、市の援助の期限が過ぎた後にどのように自立していくのかは、どのスペースも模索していた。それでも、おそらく今後数年は続々とアートスペースや、アートに関する新しいプログラムが生まれてくるだろう。個人的には、単にアートという枠だけでなく、新しい「暮らし/生活」を試みる人たち(農業、食、伝統工芸からエネルギーの分野まで)の実験の場としてのチェジュ島という方向性の方に、何かしらの可能性を感じた。「レジデンスプログラムの交流のアイデアはりますか」と文化財団の人に訊かれたので、むしろそのような「暮らし方の実験」をしている人同士が出会うレジデンスが面白いのではと答えた。今回、駆け足の滞在だったのでチェジュ美術館とツアー以外は行けなかったが、次回は、済州島4・3事件平和公園や画家、イ・ジュンソプの美術館にもぜひ訪問してみたい。

【NoLimit東京自治区】とはなんだったのか?

01.

アジアを中心に世界各地で出会った友人や、そのつながりで来た人たちが一同に東京の各地に集まり、1週間寝食を共にする、これが今回の「NoLimit」の本当の醍醐味。イベント、トーク、ライブも凄く良かったけれど、その前後の時間の帯(食べる、飲む、寝る)をみんなで共有できる、というのがとても大事だったと思う。余白の時間を共有できている限り、オーディエンスとアーティストという分断を過度に意識はしない。あとなんといっても海外の人からはイベント、宿泊、食事のお金を取らないと決めたこと。これは、本当に革命的。もっと言葉を費やす必要あり。

そこが、巨大ロックフェスやアート国際展と決定的に異なる点。

02.

ハーピーさんと話していたけど、【無料】にすることの効能や影響は想像外のところで発揮されている。例えば、過密状態のマヌケゲストハウス滞在で、もし少額でも宿泊代をとっていたら、寝場所を提供する側・してもらう側という関係に、金を支払う側(客)・受け取る側(主催)という別の項がはいり、より複雑になって、たぶんたくさんのクレーム(シャワー少ない、寝るスペース狭い等)が出てきて、対応不可能だったかもしれない(まあ、今回は、みんな松本さんの好意と努力でマヌケゲストハウス解放が可能になっているのを知っているから、怒る人とかはないと思うけれど)。無料だったから、参加する人も受け身でなく関わる余地、余裕が生まれて、結果的により大きく、そして持続する協力関係が築けていける。提供できる資源や労働の容量を越えない限り、無料で提供するというのは、理念的には社会的関係をより対等で自発的なものにしていくための、実践レベルでは無駄なトラブルや負担を回避するための合理的なやり方なのだ、と気がつかされた。

(でも、普段ゲストハウス営業している時は、支払って泊まろう。)

03.

朝起きて、北仲通りを歩くと台湾のパンクスたちがしゃがみこんでタバコを吹かしていて、次の小さな小道を曲がるとマレーシア軍団が味噌汁のお椀片手に立ち話してる。なんとかバーに入るとバラバラの国籍の人たちが一緒にオニギリをモグモグ頬張っている。どの国の人たちともかつてそれぞれの国で出会ったことはあるけれど、これだけの規模でお互いがお互い同時に会うなんてことは全くの初めてすぎて、これまでにない感覚。プレイベントでのライブで、北京のミュージシャンの演奏に盛り上がりまくっている観客の半分以上が台湾人で、でもその場所は東京の高円寺、ということに気づいたときから、この感覚が持続している。地理と人の配置が捻れたような、インターネットの同時性、双方向性がリアルに現れたような世界(それもインターネットでは実現できないかたちで)。死ぬ前に走馬灯で見れたらいいなと思っていたような光景を現実のものにしてしまった【NoLimit東京自治区】。

アジア桃源郷。

04.

最終日、新宿駅東南口にてA3BCの上岡さんから香港、台湾の人たちへと東京自治区の旗が贈呈される。こうやってアジア各地(ドイツも)に「NoLimit」の1週間の歓待、交歓、贈与の連鎖の象徴としての旗が散らばっていって、次回どこかでNoLimitが開催される時は、各地のマヌケたちはこの旗を目印に集まることだろう。それはまるで、南太平洋の島々で、人びとがお互いに財物を送りながら、島を訪問しあう「KULA」のようですらある。既存の境界線を越えて繋がる文化/社会/経済、そして情動の回路を作りだすこと。外からは分かりづらいイベントと言われた「NoLimit」だけど、どのような出会いのなかで、どんな時間を共に過ごせたかで、その経験は個々に違うし、複製的な追体験だけで補えないモザイクで描かれた「もう一つの世界」だった。それぞれの感想や言葉をたくさん聞いてみたい、と思う。新宿で松本るきつら氏がぽつりと一言。「このイベント、準備だけでも大変だったし、不安もあった。始まったら始まったで大忙しで疲労困憊だったけど、不思議とストレスはゼロなんだよな。」

エネルギーを自分の望む方向へと純粋に出しきった感覚なんだと思う。

 

 

 

No Limit ポスター

9月11日1週間開催されていた「NoLimit 東京自治区」のポスター。
デザインは、新宿のインフォショップIRA店主でデザイナーの成田圭祐氏。

周囲には「マヌケ地下文化」のエッセンス「そう簡単に世の流れに巻き込まれずに、こっちのやり方で好き勝手にやっちゃうよ〜」という文の各国翻訳語が配置され、中央にはロシア構成主義の写真家、Gustavs Klucisの手がけたイラストの大胆な引用が。

会期が終わっても不穏でカッコいい!!

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マヌケ文化のテーゼ 01

 

おしゃれ&カッコイイ文化は権力に回収される可能性をいつも孕んでいるが、バカ&マヌケ文化は迫害こそされるが、回収されることはない。バカとマヌケが思い描くのは「無心」の世界なので、階層秩序の空間から常に(どうやっても)逸脱する。

「あいちトリエンナーレ2016」コンセプトブック

あいちトリエンナーレ2016コンセプトブック《「夢みるひとのクロスロード-芸術と記憶の場所-」港千尋編》を頂きました。

キュレーターの服部浩之さんと共同寄稿した「コレクティブ・アジア-オキュパイ/生存権/ユーモア」も収録されています。服部さんは、東南アジアのアートコレクティブの実践とネットワーキングについて、僕は場所を生み出す身体の振る舞いについて台南の思い出をもとに書いています。

他の寄稿者の方がすごいので(な、なんとジョルジュ・アガンベンの名前も!!!) 同じ欄に名前が載るのは恐縮。。あいちトリエンナーレの公式ガイドブックとはまた別の、世界各地の歴史・文化史を通じて、人間の集合的記憶とその表現としての芸術をいま・ここで探求していく羅針盤的一冊です。一般の書店でも取り扱う予定とのことなので、ぜひお手に取ってみてください!

http://aichitriennale.jp/publication/pub.html

法政大学学生会館のこと

先週、高円寺のマヌケゲストハウスで飲んでいた時に松本哉さんから聞いた、法政大学学生会館の話が面白かった。

学部時代に法政大学に足を運んだ時、なんだか異様な存在感を示す建物があったのを覚えている。夜9時を過ぎても大音量のギターとドラムの音、劇団の発声練習が響き、蛍光灯の明かりを煌煌と放っているコンクリートの巨大な塊。それが法政大学の学生会館だった。恐る恐る足を踏み入れてみると、壁という壁には無数のビラが貼られ、アジテーションやセンチメンタルな詩が書き殴られ、ビール缶が無造作に転がり、扇風機の風に吹かれて洗濯物が廊下にはためいていた。そこに居座り続けることで生まれる身体とモノの独特の密度がコンクリートの中を満たしている、そんな空間だったのを覚えている。

この学生会館、話を聞くと70年代に当時、学生会館学生連盟が大学当局との交渉の末、自分たちで設計者を選任し、大学当局に認めさせて建設に至ったのだという。68年の東大安田講堂の攻防から数年後、各大学ごとに運動の拠点となる場所が必要だという議論の高まりの最中に、この学館構想が出てきたという。建築家は、法政大学の建築学科教授、故河原一郎氏。前川國男の弟子で、イタリア中世都市の広場を研究していた人物だ。(当時、法政大学学生新聞会だった松本氏は、本人へのインタビューを敢行していた)

学生会館は何よりもまず、大学当局ではなく、学生の自治の意思を(全てではないが、その一部に)設計理念として取り入れているという、松本氏曰く「奇蹟のような建物」だったらしい。河原氏は当時の学生運動に理解を示し、学生会館の建築デザインの中に様々な「自治」の思想を注入していった。学生サークル棟では、中心に広場的な吹き抜け空間を作り、各部屋が完全に孤立しない配置になっていたり、建物の入り口の階段は、そこに集まり、座り、演説できる場として使えるよう緩やかな勾配をつけたり。また、学生にとっては「開かれた学生会館」であるが、大学当局や権力に対峙するときには、ここに立て篭りできるように設計されていたという。外部からの進入を防ぐために入口がL時に折れ曲がっていたり、2階窓は投石を考慮して小窓になっていたり、裏口から逃げる通路があったりと、まるで砦のようだ。

「昔はみんな学生会館に住んでたよ。洗濯機もキッチンもあったし。あと、自主管理講座もあった。ほら、当時は大学解体が叫ばれていたから、学生による大学の自主管理が、ある意味で学生会館の中では実現していたんだよね。なんせ授業してるんだから、学生会館のなかで。学生会館学生連盟の組織図だって、今見てみると、本当に綿密に組織化されていて、運営組織としてもすごかったよ。」

学生会館は、古い大学の殻のなかから生まれたもう一つの大学だったのではないか。

「へ〜、そんなに素晴らしい場所だったら、取り壊しの時はさぞ残念だったんじゃないですか。」と僕が聞くと、「まあ、それはそうだね。大学の中で自治の空間がなくなってしまうわけだし。でも、実際に組織が小さくなっているのに、あの規模の組織図と建物を維持するのはすごく大変だったよ~。実際、ひとりで何人分もの仕事しなきゃならないから、負担になっていたしね。」との返事。

そうか、どれだけ理念が体現された建築であっても、時代や状況とともに物理的な空間とそれを使う人たちの意図が合致しなくなるのが建築の宿命なのかも、と。(その分、放棄された空間には新しい用途のための自由な余白も生まれてくるのだが)

当時の学生運動の各派の館内での争いや、学館内組織や管理についても少し話てくれたけれど、まずはそんな建物だったということを初めて知ったのでメモ代わりに。

<粉川哲夫氏インタビューより、法政大学学館について抜粋>

"僕が法政の学館を面白いと思ったのは、政治的なアートの空間だった点です。主催者たちが、政治文化のイベントを実際に運営してきたからなんですよ。都心でね。ささやかな形や臨時的な形ではあったかもしれないけれど、一つの政治的かつアート的な「イベント・スペース」として、刺激的なイベントをやり続けてきたところは他になかったわけですよ。スペースはあったとしても、イデオロギー的な、つまり路線がはっきりしていて、色々な出演者が登場する事は難しい場所が多かった。そういう仕切りを外しということでしょうね。当時の学館内は党派のせめぎあいの場だったから、運営していた人たちは「狭間」をくぐってやっていくのは非常に難しいって言っていたけどね。法政は非常に戦略的に党派の間を縫って、クリエイティブなイベントを打つということをやってきたんだね。"

「民衆建築」って分野が欲しい。

当時の法政大学学生会館の写真はこちら 

  1. 松本氏によると、建設計画時には学館設立委員会という組織が当局と交渉し、学館の完成後、自治が始まってから学生会館学生連盟が設立されたという。この学生連盟の中に、各学部自治会、体育会や応援団、サークル団体(第一文化連盟、第二文化連盟、学生団体連合、任意団体連合)、学術団体(学生側の研究団体)等々のさまざまな団体が加入していた。学館を運営する主体が学生連盟で、事務局は鍵の管理やその他日常業務、事業委員会がライブや演劇とか、授業、福利厚生などを担当しており、基本事務局も事業委員会も黒ヘル系。中核派は学館管理には手だしできなかったとのこと。

ごちゃ混ぜの夜

5月2日

夕方、「Full Contact」オープニングイベントの通訳をしにテトラに向かう。ちょうどオープニング前の最終準備でオーガナイズの宮田くん、牧園くんたちはバタバタしているが、当のアーティストたちはのんびりしているのがいい。フィリピン(チキンのスペイシー醤油煮)、マレーシア(サンバル)、日本(うどん)のそれぞれの料理を作り、最後にそれらをミックスさせて新しいレシピを作ろうという牧園くんのアイデアがよかった。

会場にいる人もマレーシア、インドネシア、インド、フィリピン、ヨルダン、アメリカ、日本とバラバラで中心がない感じがとてもよかった。展示あり、トークをしている横でアーティストたちが料理をしていたりと、アジアのごった煮的雰囲気が小さな空間の中で生まれいた。気候もちょうど良いので、みなが道路に出て立ち話をしている。日本にいることを忘れさせてくれるような時間。やはり海外の人たちがたくさんそこにいて、うろうろしているという状況そのものがいい。この状況を作れたら、そこからいろんな出来事や出会いが自然に生まれてくるのだな、と改めて実感。

次回は、外にベンチを出してみたいなぁ。

自戒

「現代アート」と「まちづくり」という単語を並列しない。二つとも使わなくなってようやく何か別の世界へ向かうためのスタート地点に立てるような気がする。

Bridge Storyの最終回で紹介したマレーシアのアーティスト/アクティビストのFahmi RezaがVICE Mediaでインタビューを受けている。今、汚職スキャンダルの渦中にあるマレーシア首相の顔を街中に貼るプロジェクトで、国内で大きな物議を呼んでいる(と同時に逮捕の危険も)彼のアクションは、マレーシアの民主主義の危機に呼応したものだ。

VICE "Meet the Artist Facing Off Against the Malaysian Prime Minister and His Cronies"

新・遣唐使たち

台湾の笨蛋的地下文化運動集団「賎民解放区」のこれまでの活動を記録した書物が、辺境の地東京、高円寺の「マヌケゲストハウス」にもたらされたとの報。中国語という高度な文明言語で書かれたこの書物をみんなで辞書片手に読み解いていくという。福岡には大陸との外交拠点、大宰府があるというのにこの物品が届けられる交易ルートがないというのは悔しい限り。時はまさに新・奈良時代。

Manuke Guest House:「台湾の物品が沖縄経由で高円寺に伝来

 

 

都市の「あそび」に集まるひとたち——「日本の家」となかまたち

ドイツ、ライプツィヒのスペース「日本の家」大谷さんが、そこに集う様々な人たちをインタビューした記事が面白い。アーティスト、旅人、近所のおっちゃん、難民としてやってきたばかりの少年たちが、なぜその場所に集まるのか、行きたくなるのか、をフランクに話してくれている。

■大谷さんの記事はこちらから→BRIDGE STORY 『04 都市の「あそび」に集まるひとたち——「日本の家」となかまたち

様々なバックグラウンドを持つ人たちが共に集まるきっかけは「食事を一緒に作り、食べること」。

ドイツの人口衰退都市の研究からスタートした大谷さんが、都市の隙間の重要性、遊びを自分たち作ること、食や住まいのあり方を共有することに注目するのは、このように日常生活そのものを街路に向けて開く、暮らし方を共有可能なものにする振る舞いそのものに、ポスト産業化時代における「都市的なもの」が生まれる萌芽を見出しているからだと思う。

ライプツィヒの街もすごくゆるくて、へんてこりんで面白い街。またぜひ行きたいな。

 

 

 

 

Source: 都市の「あそび」に集まるひとたち——「日本の家」となかまたち

香港のマヌケ反戦パレード 「Fools of the World United (マヌケ国際連合)」

香港のアートスペース「WooferTne」のメンバーたちの、マヌケ反戦行進!ちょうどこの日は北京で抗日70周年記念式典が行なわれた日。よく見ると フランスパンで作った機関銃、段ボールのミサイル、天安門事件を描いた絵をリヤカーに載せて街中をぶらぶらと練り歩いている。北京で行なわれた軍事パレー ド自体を脱力化させるようなスタイル。タイトルは「Fools of the World United (マヌケ世界連合)」。アジア各国の政治家達が互いにマッチョで虚勢を張るなら、みんなの「マヌケ」な共通感覚をもってして、アジア反戦包 囲網を作ってしまおう。

民衆の歌

国会前で高校生達が歌を歌っている。
レ•ミゼラブルの「民衆の歌」
歌が商品として生産/消費されるのでなく、人と人とを結びつける情念の共振動、民衆芸術として路上に回帰してきている。歌われる歌の新しい、古いは関係な い。歌のアクチュアリティは、どのような状況の中でその歌が歌われてきたか、だからだ。いつの時代も、文化はこうやって路上から、抵抗の中から生まれてくる。

 

美術館の自発的隷従と限界芸術

「会田誠、東京都現代美術館による撤去要請の経緯明かす クレームは1件だった」

"現代美術家・会田誠さんが7月25日、東京都現代美術館(東京都江東区)で開催中の企画展で、会田さん一家が発表した「檄」という作品について、同館が会田さんに撤去などを要請したことを受けて、SNS「Tumblr」を更新。今回の経緯や、作品の制作意図を紹介し、撤去要請が不当であると訴えた。また市民からのクレームは1件であったことを明らかにした。(ソース:The Huffingpost 2015.7.25 )"

http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/25/makoto-aida-geki_n_7870260.html?ncid=fcbklnkjphpmg00000001

一 美術館の決定だけれど、日本における美術館(およびキュレーター)の自死を象徴するような出来事。権力に対しては何も異議申し立てをしない範囲での「表 現」が、日本では「アート」と呼ばれ、近年は観光政策の文脈にそってその延命を図っていたけれど、日本のアート業界がオリンピックという錦の旗印に織り込 まれているメッセージ(スポーツ=観光=放射能安全=軍事立国プロパガンダ)に自発的に恭順していくプロセスを目の当たりにしているかのよう。(エティエ ンヌ・ド・ラ・ボエシの自発的隷従論は組織論として見ると驚くほど理解できる)。世界に通用するキュレーターとか言っても、小役人的な発想なんだなぁ、 と。作品はネット経由の写真でしか見ていないけれど、政治的や過激というよりも、皮肉とパロディの掛け合わせと言うような印象。日本の美術館で芸術が見れ なくなる日がくるのだろうか。

けれど、先日旅立った鶴見俊輔氏が「限界芸術論」で語るように、芸術の根源的な経験の基層には、日々の暮らしの中で美的経験を感受し、記号/表現によって 伝達する市井のひとびとの主体的能力がある。それが非専門的芸術家が生産し、非専門的享受者によって受容される「限界芸術」の有する、権力や制度から外れ た所に置かれているがゆえに自律しうる芸術の豊穣さだ(これは作品の個々の質とは関係が無い、それはその質が生まれうる土壌のあり方だ)。なので、「思想 の科学」や「ベ平連」等、在野の思想と市民運動における仕事と同様、彼の芸術の可能性おける探求でも、崩壊しつつある制度とは別の場所、世界各地で生まれ つつある民衆の集合的表現の方に彼の「バトン」が渡され、引き継がれてくのだろうと思う。

サバのアート•コレクティブ、パンクロック・スゥラップの木版画が東京の観衆たちと出会うとき。

新宿のInfoShop IRAで開かれているマレーシアの版画コレクティブの展覧会「パンクロック・スゥラップ(Pangrok Sulap)版画ポスター展」(11月8日まで)に関して、マレーシアの地元からこの展覧会について取材した記事があったので翻訳してみた。訳は意訳なので、もし間違いや訂正があればご指摘お願いします。

Source: The Star Online Sabah-based art collective finds audience in Tokyo」by daryl goh

東京の展覧会に出品されたパンクロック•スゥラップの最近の木版画作品。サバ州コタキナバル近郊の小さな村のコミュニティの一つ、ウルパパールの先住民ドゥスンの人々の苦難についての作品。

東京の展覧会に出品されたパンクロック•スゥラップの最近の木版画作品。サバ州コタキナバル近郊の小さな村のコミュニティの一つ、ウルパパールの先住民ドゥスンの人々の苦難についての作品。

サバ州のアート•アクティビストコレクティブ、パンクロック・スゥラップ(Pangrok Sulap)の木版画作品が東京の人々に支持を得ている。サバ州を中心に活動しているアート•アクティビストコレクティブ、パンクロック・スゥラップは、国境を越えてパンクを志向する仲間たちの心を惹き付けつつあるのだ。
アートと社会的アクションが結びついたこの共同体のDIY的美学の多くは、木版画、ポスターそして横断幕という形で表現されている。彼らの作品は現在、東京のクリエイティブスペース、Irregular Rhythm Asylumで展示されている。東京外国語大学講師で文筆家の徳永理彩さんは、過去2年間に制作されたパンクロック・スゥラップの木版画作品20点を収集している。「Pangrok」はパンク•ロック、そして「sulap」は農家の休憩小屋を意味している。
徳永さんは昨年末、東南アジアにおけるDIYアートシーンの調査の中でパンクロック・スゥラップの作品と出会った。今年はリサーチと研究旅行ですでに三度、このキナバル山の麓にある山岳地帯ラナウをベースに活動するコレクティブに訪問している。
東京外国語大学講師/文筆家の徳永理彩さん(右)は、今回東京でのパンクロック•スゥラップの木版画の展覧会をキュレーションした。本展覧会はこのサバのアートコレクティブがラナウの小さな町で活動を開始した2010年以降、初めての海外での展覧会となる。

東京外国語大学講師/文筆家徳永理彩さん(右)は、今回東京でのパンクロック•スゥラップの木版画の展覧会をキュレーションした。本展覧会はこのサバのアートコレクティブがラナウの小さな町で活動を開始した2010年以降、初めての海外での展覧会となる。

徳永さんは、メールインタビューでこのように述べている。「今日本では、東南アジア(特にインドネシア、マレーシア)のDIYアートやアンダーグランウドコミュニティへの関心が高まっています。権利の拡充、教育、周縁化されたコミィニティの発言権といった諸テーマは本質的な普遍性を持っていて、それ故にパンクロック・スゥラップの作品は言語の壁を越えて、幅広く観る人たちの心に響くのです。」
パンクロック・スゥラップの中心メンバーは、ジェロームマンジャット(Jerome Manjat)、リゾ レオン(Rizo Leong)や、マクフエディ(McFeddy)といったアーティスト、デザイナーであるが、誰がメンバーであるかについてゆるやかな共同体は、サバの小さな町での支援プログラムへの援助も行っている。徳永さんは東京での展示のために、彼らの共同作品や(アートやショートフィルムを通じて)その背後にあるプロセスそのものを記録していった。
「わたしが試みているのは、パンクロック・スゥラップ自身の持つテーマを日本の人たちに向けて翻訳し、明確に伝えていくことです。彼らの共同作品は、クアラルンプールや東京に住む人たちが耳を傾けるべき類いのものだと思います。そこがサバであれ沖縄であれ、社会的に周縁化されてきたコミュニティの闘争に、私たちは目を向けて行く必要があるのです。」と彼女は付け加えている。
サバの地元の人々にとってキナバル登山は高価で手が出ないことや、巨大ダムプロジェクトによって複数のコミュニティが消滅の危機にあること、ICプロジェクトや文化の喪失、違法タバコ業者が手巻きタバコ売りを追いやっていること、カアマタン祭り、ボルネオビーズといった話題と、彼ら/彼女らの作品がどのように繋がっているのか、そして、なぜ団結の<ことば>がパンクロック・スゥラップのミッションにとって中心的な意味を占めているのかを知ることは、日本の観客にとって刺激的な経験となるはずだ。
別のインタビューでは、パンクロック・スゥラップのリゾ•レオンはこう語っている。「私たちはこれまで、ラナウの外部の誰かが自分達の活動について興味を持ってくれるとは想像だにしませんでした。マレーシアの外で私たちの作品を支援してくれる人たちと出会うことは素晴らしいことです。私たち自身はこれからも続いていく闘争そのものであり、私たちの芸術はサバの地方の生活やそこで周縁に置かれた人々について語り続けていくでしょう。それらは決して忘れ去られたり、無視されたりしてはならないのです。」

                                                                          

『「黒と黄」香港雨傘革命について』の備忘録

「黒と黄」香港雨傘革命について重要な論考の一つ、「Black Versus Yellow.Class Antagonism and Hong Kong’s Umbrella Movement」が日本語訳で読めるようになっている。アメリカのWeb Zine「ULTRA」に掲載されていたこのテキストはlibcom.orgという社会問題や運動を扱うサイトに掲載されていた。

ブログ「雑記」より、『「黒と黄」香港雨傘革命について

を読んで、簡単にまとめてみると...

 香港対中国本土の対立という主流メディアの報道で隠蔽されているのは、香港という都市そのものがグルーバル資本主義の実験場であり、アジアにおけるその 前線でありつづけてきたという都市の歴史的性格がはらむ階級的矛盾である。民主的普通選挙の実施という要求への過度な注目は、香港という都市の中で、一握 りのグローバルエリート&裕福層、そして平均時給390円の労働者、若者、そしてさらにそこから外部化されている香港への移民の人々の不平等な関 係性によって噴出している生存をめぐる諸問題(労働、住宅、食料、教育、医療の問題)から目をそらせる結果につながっている。

 今回のオキュ パイ運動の内部でも、この矛盾は内在している。「民主」的選挙の実現を過度にを標榜する(凡民主派)ポピュリストグループは、中国共産党と実際に中国から やってくる人々を混同し、香港内での経済的矛盾をうやむやにしたまま運動を無力化させ、さらには右翼的排外主義を伸張させる恐れがある。また、このポピュ リズム的オキュパイは、2011年に行われた最初のHSBC(銀行)のオキュパイ運動が志向した「未来なき世代(若者世代)」による資本主義に対する根本 的な異議申し立ての経験を隠蔽する結果にもなってしまっている、と指摘している。

 長期戦に入り、報道も少くなってきたが、香港を対本土という視座だけでなく、グローバル資本主義の一極として捉え直すこと。そしてこの都市に住む人々の 労働、住居、食の権利を巡る階級対立、そして運動内での「未来なき世代」である若者たちの切実な生存の権利への要求と89年学生民主化運動世代の回顧主義 的「民主化」要求の相違が、この運動の内部と外部を貫く闘争線であるということを忘れてはいけないように思う。

 

民衆文化のテーゼ

ああ、香港のオキュパイの現場の一つ「Occupy MongKok」が今朝方警察によって強制排除されたというニュースが...ここオキュパイモンコックは、香港の友人達が多くか関わっていて、特に文化的 なアクションがたくさん生まれた場所でもある。路上インフォショップ、オキュパイ商店、コンサート、オキュパイテント小屋コンペ企画、路上鍋や卓球大会、 路上学習教室...これらの様々な自発的、創造的な草の根文化が警察の暴力によって破壊されていく。国家の本質と民衆文化は究極的には対立する。これは やっぱり文化研究の一つのテーゼなのだと思う。

日本ではより緩慢に、巧妙に取り締まられているけれども。