<北京滞在記:1日目 >

2014年6月9日。福岡から午後2時の飛行機に乗り、青島経由で北京に。機内の添乗員の人 が弁当を投げるような早さでパスしてくれる。青島で入国審査、意外とあっさり通る。で、毎回フィルムを持参しているがX線検査装置を通したくないのでハン ドチェックをお願いしているが、見せると検査の人がめんどくさそうにもうそのまま見せなくていいから持っていっていい、という素振り。でもボディチェック はとても厳重で、くまなくぺたぺた体を触ってきた。福岡から青島までは飛行機で2時間20分、近い。下関からはフェリーも出ているので今度は青島に行きた いと思う。

席の斜め前に座っている白人男性と中国 人女性が日本語でお互い会話をしていてついつい聞き入ってしまう。男性の方は福岡の会社で働いているというアイルランド人。女性は福岡在住20年らしく日 本語も流暢。で、サザエさんが福岡生まれだとか、温泉は別府が良いとか話している。で、男性がPCを開いて見せていた写真の画像が北朝鮮の写真で、どうも 過去にロイターニュースの「北朝鮮の今」のような写真特集で見た記憶がある。カメラマンなのかと気になったのだが、話しかける間もなく到着。

北 京に近づくにつれ、窓から見える雲が不思議な形と色をしている。どうやら入道雲の下に低くのっぺりとしたカーキー色の雲の層が地表を覆っている。これが PM2.5なのかな、と。でも近づくにつれてその靄の濃さに驚く。都市全体が黄色の靄に覆われて、光が地表まで差し込んでいない。茶色の雲海に覆われた都 市、北京。ここにこれから1週間滞在するとなると思うとちょっとビビる。

北京空港に到着。巨大だ。成田の4倍くらいはあるんじゃないだろうか?とにかく、巨大。まあ人口と国土を考えれば当たり前だが、「巨大」という観念が実感を 伴ってくるのは日本にいるとなかなか想像できない。ターミナル3にバスで向かい松本さんと合流。相変わらず、海外でばったり出会う感覚。こちらで唯一受け 入れてくれる予定だった中国人アーティストの女の子はまだ香港から帰国しておらず、とりあえず自力で滞在先を見つけることに。空港から街をつなぐ列車 (500円)の乗り、市内へ。

松本さんが昔行った事のあるエリア2号線「鼓楼大街駅」 で下車。20年前は、1号、2号の環状線しかなったがオリンピックの大規模再開発の時にむりやり拡張していったらしい。北京に入ってすぐ足を運ぶ地下鉄も ビルも道路も確かに新しく、巨大だ。けれどそこには人の暮らしの息づかいや痕跡はほとんど見えない。「オリンピック前に来たときは、街の一画がまるまる壊 されたりして、工事現場の中に人が暮らしているみたいだったんだよ」と松本さんは言っていたが、人々の暮らしの破壊の上にこのつるつるぴかぴかの北京が出来上がっているのだろう。

それでも、降りた駅から北に上がると、いかにも庶民の商店街のような通りがある。バイクの周囲にボックス型のフレームを組み込んで小さな車内スペースを 作ったバイクタクシーが可愛い。路上には自転車やバイクを改造して焼き鳥やまんじゅうを売る移動式屋台が並んでいる。路上でおでんを皆がすくっていたり、 店先の壁に取り付けられた調理場で焼き鳥を焼いている。店の軒にはテーブルを囲んで大勢の人たちが食事と酒で楽しんでいる。裸のおじさん、白いランニング シャツの若者。やっと中国に来たのだ、という実感がわいてくる。

夕食も済んでさて、少し街を歩こうということになり「鼓楼大街駅」を南に下る。昔のれんが造りの長屋がまだかろうじて残っていて、そこに若者向けのオシャ レな飲食店や洋服屋が入っている。歩いているのも若者同士や恋人たちが多い気がする。途中の売店で「北京酸奶(北京ヨーグルト:60円)」を購入。白くて 丸い陶器に入っていて、紙のふたにストローを突き刺して飲む。ぬるいが酸味と甘さがちょうどよく美味しい。そうしている中に、鼓楼が見えてくる。煙る夜空 を背景にして、暗い朱色をした巨大な建造物が浮かんでいる。あまりの大きさに自分の体を基点にしたスケール感が無くなってしまう。宿をそろそろ見つけようと湖から一歩奥まった通りをあるく。「招待所」という看板を見つけて、奥まった路地に入ってゆく。地元の人たちの路上にはいつも椅 子と麻雀テーブルを外に持ち出して集まっている男たちの姿。「招待所」は向こうの安宿のことで、ホテル(酒家)よりランクが低いがその分安い。「1000 円くらいで泊まれるよ」とのことなので、松本さんに交渉をおまかせする。中国語が全くできない自分は中国で食事やタクシーすら乗れない。5分くらい交渉し ているが結果は、「ダメ。もともと招待所は外国人は泊めちゃいけなくて、それでも昔は大丈夫だったのだけれど今は公安が厳しくでもう外国人は泊まれないみ たい」ということ。なので、荷物(パソコン入りバックパック&カメラ機材一式&三脚)を抱え再度歩く。数件の「招待所」「賓館(招待所よりちょっ と上の安宿)」を当たるがことごとくダメ。

11時を周り、人影も少なく、スモッグで煙った通りをひたすら歩く。肩と足が限界に近い。運動普段していないのに、急にあり得ないくらいの荷物を抱え歩い ている。冬でなくて本当によかった。結局「鼓楼大街路」戻り、チェーン系列 ようなホテルに泊まることに。チェックインをして中に入るとなんと現在、リノベーション工事の最中で、廊下にはいたるところに工事器具や備え付け家具がち らばっている。北京の街中もあちらこちらが巨大な工事現場で、そのなかを通り過ぎてゆく感覚があったが、まさかホテルの中も工事中だったとは。この国自体 がさながら巨大な工事現場のようだ。

<北京滞在記:2日目>

8時頃、大きな工事の音で目が覚める。大のおっさん2人がツインベッドに横たわっている北京の朝。窓からは向かいの工事現場から金属を切るキリキリとした音、廊下からはドリルの振動音が響いてくる。12時にチェックアウトして、北京中央美術学院に向かう。北京をベースにしているアーティストのElianeに紹介してもらったミュージシャンと会う予定なので同行することに。

地 下鉄を降り、駅前に泊まっていた小さなバイクタクシーに乗る。このバイクタクシーは、まるで工場で作っているかのような手作り感満載のバイクで、銀色のか まぼこ型のフレームの前半分が運転席でまさにバイクそのもの。後ろ半分は乗客用の座席。2人乗れば体が半分はみ出しそうなくらい小さいが、バイクに小さな 籠をかぶせたような作りが面白い。バイクと身体を拡張していった先に新しい乗り物が生まれた、という感じだ。

そうこうしているうちに北京中央美術学院に到着。中国唯一の国立美 術学校だという。おしゃれな服装や髪型をしている学生が多い。大学の周りには、美術予備校やデッサン教室の呼び込みの人々が小さな椅子に座り込んでいた り、自分は絶対読まないであろう美術本をバイクの荷台に並べて校門横で売っている女性もいた。

近 所のカフェでいるヤンさんという人に会う予定だというのだが、2人ともヤンさんの顔も性別もわからないままカフェに入る。とすると、30後半くらいの坊主 で眉毛がへの字にさがった柔和な顔の男性が手をふる。直感的にヤンさん本人だと2人とも理解する。握手と自己紹介を一通りして、お互いのことをやりとりす る。ヤンさんは、本名はYan Jungと いって、元詩人、現在はノイズのミュージシャンだと自己紹介してくれたが、あとで調べると日本でも知る人ぞ知る、中国の実験音楽の世界の第一人者らしい。 日本でも過去に演奏しに来日したり、大友良英とバンドを組んだりしているという。彼の授業が午後からあるというので、特別に見せてもらうことに。

教 室に入ると十数名の学生と長髪でひげの背の高い先生が一人、せわしく準備をしている。彼がヤンさんを招待した映像作家/ミュージシャンのディン•シン (DingXing)。僕の大学時代の友人に瓜二つで、あっと声がでそうになる。奥さんが日本人とのことなので日本語は聞くのは理解できるとのこと。

授業は主に映像専攻の学生たちが、身の回りのものを使って音を出し、そこからオーケストラに仕上げて行こうというもの。まずは、ひまわりの種を学生たちに回 して、ひたすら種のからを割って、食べるという動作を繰り返す。静かな教室にポリポリという音だけが響く。次はマイクの前に学生が立ち、買って来たスナッ クをセッションを始める。お菓子の種類、かじるテンポとタイミングで次々と音が生まれてくるが、特に面白かったのインスタントラーメンのすすり合いで音を 奏でる時。最初は恥ずかしそうな学生たちがズズっと麺をすすつたり、食べ終わって喉を鳴らしたりと普段無意識の中に沈み込んでいる日常生活の中で身体が奏 でる音を改めて聞いてみる面白さがある。最後は、お菓子を全員で食べながらヤンさんが指揮をとりオーケストラ風に演奏(食べて?)終わる。

帰 りにヤンさんのワークショップのポスターが学内で貼られていたので松本さんにタイトルを訳してもらったら「ゴミにも少しの愛を。ノイズと意味の無い音を聴 く」というタイトルだと判明。ヤンさんの授業内容と音への態度がここでつながって理解できたような気がする。近々、山口のYCAMで演奏しに行くよと話し ていたのでぜひ行ってみたい。授業後はヤンさん、ディン•シンと学生を交えてカフェで一杯。ちょうど、ディンが今晩自分の家のスタジオに泊まっていいと 言ってくれたのでお言葉に甘えて泊めさせてもらうことにする。

夜に、ヤンさんが教えてくれた北京のイベントスペース兼カフェ「雑屋」 に向かう。先日歩きに歩いた「鼓楼大街」から少し東に入ったところにあるとのこと。元々、道教のお寺で、スーパーマーケットとして使われた後にカフェとラ イブスペースに変わったという面白い経緯の建物。れんが造りで屋根瓦の古い作り。薄暗いカフェの中にはカウンターバーとロフトが備わっている。レモンの ピールが入ったアイスコーヒーが美味しい。

1時間ほど「雑 屋」に滞在して、外を南下しつつ散歩。裏路地を歩いてゆくが人通りが少ない場所はまだ危ない場所もあるという話だった。10時すぎにそろそろ電車で Dingの家に行こうと話、地下15号線の乗り換え駅までいく。しかし、あまりにも長い乗り換えを何度も繰り返した結果、最終に間に合わず。駅近所には終 電を乗り過ごした人々をつかまえおうとするタクシー、三輪車、白タクの攻勢に出会い、おもわず白タクの運転手の「80元」の一言で白タクにつかまる。乗っ てからというもの30分くらい動く気配もなく、運転手はまだ外をうろうろしている。あと一人捕まえてから出発するとのこと。



<北京滞在:7日目>

午後3時に安定門駅前でElaineと待ち合わせ。今日は空は今 にも雨が降りそうなくらいの曇天なのだが、よくよく見ていると街全体が黄色く靄がかっている。額をウエットティッシュで拭くと、シャワーを浴びたばかりな のにすぐに真っ黒になる。北京北駅で乗り換えて、北京大学や精華大学のある五道口駅で下車。鉄ちゃんに教えてもらったコミュニティスペースの場所を探す が、住所は大きな住宅街高層ビルの26階になっている。しかも、敷地に入るには警備員のセキュリティポイントを通らなければならない。ほんとうにこんな場 所にコミュニティスペースがあるのだろうか?と首を傾げながら敷地内のビルの一棟、最上階に登るがそれらしい場所は見当たらない。

一 緒にエレベーターに乗っていた子供たちに住所を尋ねると、隣の棟に案内してくれる。最上階の一室のドアを開けると、そこには大勢の人たちが集まって机の上 で何か料理の下ごしらえをしている。尋ねてみると、今日は皆で餃子を作る会の集まりだとのこと。それにしても、この場所は何なのだろう。普通の高層アパー トの最上階の2階建ての部屋の一室に、あふれんばかりの人たちがあちらこちらうろうろしている。1階部分には共有スペース、事務作業所、キッチン、そして 男女ゲストハウスルームがあり、2階への階段を登ると読書や勉強会用のスペース、そして街が一望できる広い屋上テラスがある。

706青年空間という名前のこのスペースは2011年からこの高層アパートの最上階を借りて、ワークショップ、読書会、上映会などの企画をしているという。家賃や運営費はこの案に賛同してくれた人たちのクラウドファンディングによってまかなわれ、また会員となった人は365日さまざまなイベントに参加したり、企画できたりする権利をもらえるとのこと。もちろん会員でない人も遊びにくることはできる。アングラ感、アナーキー度はゼロ。まあ、ここは日本で言えば東大や東工大が集まっているようなエリアだからそれはそうか。

それでも面白いのは住宅内でゲストハウスも運営して格安で泊まることができるというシステム。ゲストハウスには2段ベッドが置かれ何人かがごろんとしていた。この北京のスペースを基点に、いまでは中国全土で15のスペースが、それぞれ運営を別にしながもネットワークを作っているという。屋上には椅子やテーブルが置かれ、皆が思い思いにのんびりしている光景がいい。庭の植木鉢の横でネコがじゃれ合っているし、若者たちもテラスに腰かけてのんびりと話している。何より、高級(?)マンションの最上階に大勢の人たちが、餃子を作ったり、寝ていたり、パソコン仕事していたり、ただただうろうろしているという光景がとてもよい。

空は相変わらず黄色く低く立ちこめている。手が届くかのようだ。屋上のさらに上にのぼってビルの再頂上を散歩してみる。足がすくむくらいの高さだが、こんなビルが周囲にいくつも乱立している。現代中国の典型的な光景なのだろう。Elaineにお願いしてこのマンションの頂上でポートレートを撮らせてもらう。

夜は、胡堂近くの小さなアートスペースや、日替わりオーナー制の四畳ほどの路上に面したartバー五金 (WuJin)」、モンゴル人のカフェ(店主が漢民族がきらいであまりお客さんの入りはよくないという謎の経緯を聞かされたが、店は昔の民家を改装していてとてもよい雰囲気)。その後に、よくある白人系のクラブに行く。松本さんは、時間を潰すようにこのクラブの壁のあちらこちらにMANUKE民宿シールを貼りまくっていた。3時頃に歩いて帰路につく。

706青年空間」:https://www.facebook.com/706youthspace

「五金」:http://www.wujinbeijing.com/

 

<北京滞在:6日目>

内モンゴル出身の青年Sが、午後にオリンピック公園で野外音楽イベントがあるから一緒に行かないか?というので地下鉄で合流する。バックパックをからってやってくる姿は90年代の日本人バックパッカーそのもの(松本さんは、遅れて来た全共闘世代との評)。オリンピック森林公園に到着、北京はなんでも巨大だが公園もその例に漏れず。公園から南に幅30メートルはあるかという巨大な道路が一直線に続いていて、向こう側にぼんやりとオリンピックスタジアムが見える。公園入り口には樹木にかたどった巨大な銀色のタワーがそびえている。

玄関口に楽器を持った人たち集まっているが、黒服の我々3人とはあきらかに雰囲気が違う。どちらかというとさわやかな大学生や若者という感じ。Sに聞くと、初めて参加するイベントなのでどんな感じなのかわからないし、知り合いも一人もいないという。内容がまったく見当もつかないイベントに自信満々に誘ってしまうところが彼らしい。

炎天下の巨大な公園内で人々の行列についていく。さすがの彼もこれは違うと思ったのか「面白くなさそうだから帰ろうか?」と心配そうに尋ねてきたが、時既に遅し。戻る気力もないのでそのままついて行く事にする。20分歩いてやっと小さな丘のような場所に到着する。皆が輪になって座るので、その環から外れるように木陰に移動し、持って来たシートを広げる。

Sがバックパックからおもむろに缶ビールとパックに詰めたリンゴ、桃を取り出す。野外音楽フェスを満喫する気満々だったのだ(実際はピクニックだったが)。それでも近くの見知らぬ人にシートに座ることを進めたり、リンゴをあげたりしている。なんのてらいも無く自然に自分が持っているものでも誰区別無く共有しようとする彼の行為にはっとする。日本で自分が普段そのようにしているか、と自問しても答えはNoだ。青年Sのアナキズムへの情景をここでかいま見た気がする。

そうはいっても集まり自体やそこでの音楽はフォークやポップス等軽めの曲を皆が順番に弾いて行くというものなので、さしてすることもなく昼寝の時間に。休日の午後に公園であつまって音楽を演奏して楽しむ中国の人々の姿はとても良かった。

嫌中、嫌韓とかのたまう日本の出版、マスメディアはこのような光景を絶対に伝えないだろう。ほんとうに日本の中だけで流通している東アジア世界の見識の低さ、下劣さは問題だと思う。ある国について語るなら最低でもその国の人々の暮らしを見て、自分の足で歩いて、現地の人たちと腹を割って話せ、と独りで憤りながら歩いていた。

公園を出て大通りを少しあるく。向こうにオリンピックスタジアムが見えるのだが行けども行けどもつかない。地下鉄に乗るとSが夕方、自分の住んでいるエリア、湖洞を案内したいということで、案内してもらうことに。昔ながらの胡堂(フートン)と呼ばれる地区には、四合院という中庭を基点として4面の部屋に囲まれた伝統的な住宅が残っている。Sは歩きながら、66年からの文化大革命がいかに中国伝統の文化、価値観を破壊して、現在の拝金主義を作ってきたかを英語と中国語を混ぜて僕らに一生懸命伝える。「日本軍が占領した時にですら、街並は破壊しなかったのに、共産党は寺院や庭を大量に壊して、道徳や価値観までも破壊しようとしたんだ。で、昔は礼節を重んじていた中国人は、見ての通りみなが粗暴なってしまったんだ。」とため息まじりに説明してくれる。

彼の家に向かうのかと思いきや、なんとゲストハウスに宿泊中という。もう上京して3年いるみたいだけれど、アルバイト(焼き鳥を店先で焼いたりバーの店員だったり)をしながらゲストハウスの常連になってしまったとのこと。ゲストハウスで少し休み、その後Sの自転車に一人づつ乗せてもらって安定門まで向かう。道路沿いにおかっぱ髪の女の子が待ってくれていて、そこからアートスペースに連れて行ってもらう。Elaineの友人でChenChenというまだ20台前半の子。元HomeShopのメンバーだっが、場所が無くなった後に別のスペースを見つけて2人で運営を始めたという。名前は日本語でいうと「デコピン」。床は一面畳敷きで、すぐにあぐらをかけて居心地が良い。身体的なワークショップをするので、床よりも畳を自分でデザインして注文したという。

その、安定門でElaineと合流。夕食を近くの火鍋屋で食べる。香港のジャーナリストとChenChen、鉄ちゃん、松本さん、Elaineと僕の5人。テーブルの向こう側には、上半身裸で鍋をつついている4人の男たち。どうやら「男が上半身裸になるのは北京流」らしいが、室内はさすがに初めて見た、とみんな口をそろえて話していた。

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<北京滞在:5日目>

そろそろ北京探索のカード(人とのつながり)も底をつき始めたか、という感の5日目。最後の手段ということで、高円寺の中華料理屋「香満楼」の主人から託された、元同僚の料理人の名前が書かれた紙切れを手に中華料理店を探しに行くことに。松本さんも気合いを入れて「香満楼」Tシャツを来ている。本気だ。もはや頼れるものは何でも頼るという感じ。

1号線の天安門東駅で降りて店を探すが、大きな長安通りには北京飯店等の巨大な5つ星ホテルが立ち並んでいる。本当にこんなところに「香満楼」の主人の友達が働いているのか、と2人で少し不安になる。なにせこちらは単に殴り書きで人の名前と店名が書かれただけの紙切れで5星ホテルに突入しようとしているのだ。

着いたのは北京グランドホテル。ロビーには巨大な象牙の彫刻が飾られている。2階のレストランに案内されたが、明らかに不審者だと思われている感。テーブルに座ってもウエイトレスのお姉さんに「何しに来たの?」と言われる始末。従業員の人たちがこちらをみてひそひそと話ている。いかん。そこで最後の手段、香満楼の紙切れを「どうだ!」と見せる。が、そんな人は知らないと一蹴される。無念。仕方なく、麻婆ナスやら水餃子やらできるだけ安い料理を注文。よれよれのTシャツのおっさんが2人で高級中華料理を食べに来ただけ終わってしまう。合計金額は2人で300元(6000円くらい)。支払い後、松本さんが「でも、まあ日本で一人3000円の中華料理を食べたと思えば安いよね、、」とぽつり。久々にわびさびを感じる言い訳台詞を聞いた。日本だったらもっとたくさん食べれた気もするが、それでもマーボーナスはさすが本場の味。旨かった。

夜には再度「XP」に向かい、香港で出会った中国系アメリカ人アーティストElaineと合流する。彼女は去年まで北京で「家作坊(HomeShop)」という場所を運営していた。北京で誰も知らない自分たちにいろいろな人や場所の情報を教えてくれたのも彼女だった。ベルリンでのレジデンスを終え、香港に立ち寄って今日帰ってきたところだという。

HomeShopは、北京の胡洞エリア、昔ながらの住宅街の一軒屋を借りて運営されていたアートスペースで、地元の人たちと関わりながらワークショップや料理教室などさまざまな活動を行っていたが、家賃が3倍に急騰して結局スペースをたたむことになってしまった。

松本さんの友人づてで出会った内モンゴル出身の青年Sは、大杉栄や幸徳秋水が好きだという31歳。ぼさぼさの真ん中分けの髪にぎょろっとした目、ちょろっと生えた無精髭という風貌で、日本のどこかで会ったことがあるような雰囲気。ちょっとおどおどして、遠慮がちに挨拶してくる。

どうやら松本さんのことを「日本から来た有名な無政府主義者」と勘違いしているらしく携帯で「すみません、緊張してどうやって話して良いかわかりません..」とテキストしてしまうところもいい。マヌケな雰囲気が表情と仕草からにじみ出ている。

北京インディーズレーベルを運営しているNebienに会う。今晩のXPは中国のポストロックバンドが出演していて、お客さんの層も地元の若者が多くて活気ある雰囲気。Nevinは香港のアンダーグラウンドハウス「HiddenAgenda」のマネージャーだったKimiの友人でもあり、武漢の「青年自治実験室」のMidianと同じバンド「犯罪想法」のメンバーだったというし、東京のInfoshop「IRA」にも行ったことがあるという。繋がるところはちゃんと繋がるのだな、と改めて思う。

ちなみにこのパンクバンド、「犯罪想法」のジャケットがすごくかっこいい、そして曲名も「原子力大虐殺」だったりと過激でいい。武漢の「青年自治実験室」のつながりで出会う人が多いので、いつかは武漢に行ってみたい。武漢の町外れ、畑に囲まれた2階建てのスペースに、漢字の入れ墨をしたパンクスたちがうろうろしているらしい。その光景だけですでにパンクだ。

Nevinから写真集「首都之音」をプレゼンントしてもらう。買おうかなと思っていたのでとてもうれしい。鉄ちゃんとも合流して、演奏を一通り聞いた後、Elaineと鉄ちゃんと何か食べようという話になり、Sも誘うが「今日はワールドカップを見ないと」とアナキストらしからぬ発言を残して帰っていった。4人で路上の串焼き屋で遅い晩ご飯の後に帰路につく。

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「家作坊(Home Shop)」→http://www.homeshop.org.cn

「犯罪想法」

北京硬核朋克

 

<北京滞在記:4日目>

朝9時頃にIronの働いている事務所で目を覚ます。10時には他のスタッフが来るというのでそれまでに片付け、お礼を言って出る。北京に着いてからあまりにも宿泊先が行き当たりばったりなので、観念してゲストハウスに泊まろうということに。先日食事をした「安定門」近くのユースのドミトリーに宿泊(一泊:70元)。大きな荷物をずっと担いでいたのと、連日の暑さでダウン。夕方までほとんど部屋で寝ていた。

夜、北京アンダーグラウンド音楽の中心的なハコ「D-22」を探しに行こうと外に出る。先日行ったバー兼イベントスペース「雑屋」やインディーズ音楽のレコード屋「独立音楽」の店員の人に話を聞くと「D-22」は数年前に閉店して、今は「XP」という名前のライブハウス引き継いでいるとのこと。「XP」に向かうが、今日は地元の外国人のエレクトロ系の音楽イベントらしく地元の人たちはあまりいないので、少し寂しい感じ。

「D-22」時代のライブの様子やバンドの記録写真集「首都之音」が置いてあったので手に取る。アメリカ人の写真家Matt Niederhauserが撮影しているこの写真集からは、2004~8年当時の北京のアンダーグラウンドミュージックシーン熱気がどのようなものだったのかが伝わってくる。

「XP」→ http://site.douban.com/xpbeijing/room/2725003/ 

「首都之音」→http://edge.neocha.com/zh/posts/photography/matthew-niederhausers-photograpghy-shares-chinese-indie-with-world/

 

<北京滞在記:3日目>

朝、9時頃に泊めさせてもらっているディン•シンの家の地下のスタジオで目が覚める。日本語で赤ちゃんをあやす声が聞こえてきたからだ。彼が自分の奥さんは日本人だと言っていたのを思い出す。北京の郊外の住宅の一室で赤ちゃんをあやす日本語を聞いているとここがどこなのか一瞬わからなくなってしまう。2階に上がりあいさつをする。奥さんのまみさんと小さな女の子の赤ちゃん。メキシコで出会って、結婚して北京に移り住んで1年も経っていないという。

僕らが初めての日本人のお客さんだったみたいで快活な関西弁で「いやー、ひさしぶりに日本語を話せてうれしいわ〜」と話す。日本での原発事故を避ける意味もあって北京に来たが、元々英語も中国語もあまり上手ではないという本人の弁。なので、旦那さんとの会話は日本語と英語が半分半分で、中国語の単語がちらほらというとても不思議な案配のクレオール言語が会話を占めている。デインが「僕のコミュニケーションには特別な言語があるんだ」と笑って話す。

よく海外に行くのが億劫だという人の理由の一つに言葉ができなという理由があるが、この夫婦は言語の壁なんて最初から飛び越えて「自分たちの言語」を作っている。お互いがどちらかの母国語を理解していない場合でも英語という共通語でコミュニケーションをとる人たちは知っているが、母国語も英語もあまり通じない中でも結婚し、子供を育てるという感覚がとても突き抜けて新鮮だったし、何かアジアの未来を感じる場面だった。奥さん手作りのおにぎり、長崎産のみそしる、ひじきの煮物をごちそうになる。ディンが学校に寄ったあとに市内に向かうというので車に載せてもらうことに。お礼を言って家を出る。

先日の黄色いスモッグの立ちこめた昨晩とは打って変わって、本当に良い青く明るい空が広がっている。木々や草花の緑もまぶしいくらいに輝いている。街の様子もなんだかとても軽やかだ。車の窓を開けると気持ちのよい朝の風が入ってくる。こんな時は街に戻らずにもっと郊外まで出かけたい。そんな気持ちになる初夏の北京。美大で荷物をおろし、市内へと続く高速へ。

途中、ディンが信頼しているという電気修理屋に立寄り、スピーカーを見てもらう。電気世界中心という中古家電屋が並ぶビルの2階に上がっていく。それぞれ5畳ほどのスペースにありとあらゆる電気製品が並べられている。店員の人たちも、店先で弁当を食べたり、携帯をいじったり、トランプしたり、化粧をしていたりと商売と暮らしが渾然一体となっている。部品屋にスピーカーを運ぶ。修理屋のおじさんは小さな部屋で電気工具と部品の入った空き缶に囲まれ、食べかけの弁当を横に、くもくとスピーカーを分解し、部品を探し出しては付け替えていく。ブレードランナーの世界。中古の携帯やパソコンが所狭しと並べられている。修理を受け取ったあとに近所で昼食。小籠包の店に入り、北京小籠包を3人で食べる。

この後に、中国美術館でメディアアート展覧会があるから一緒に来るか?と聞かれたので「行く」と返事。ちょうど、先日オープンしたばかりのメディア芸術の展覧会「thingworld」のキュレーターツアーがあっていてそれに参加していたが、結局自分一人で回ることに。中国のアーティスト、Wang Yuyangの作品「Breath-Finance Office」という作品は、実物大の事務所のありたらゆる備品(パソコン、椅子、紙、電話)が呼吸して波打つという作品が面白かった。

松本さん曰く「中国の観客の人々たちが、それぞれの作品の仕掛けについて興味津々で触ったり、監視員にどうやって作っているのか尋ねている光景や、監視員がたいくつそうにスマホをいじったりしているのが面白かった」とのこと。たしかに、中国の観客がアーティストの意図を越えて、最も「インタラクティブ」かつ「能動的」に作品に接しているのかもしれないと考えると、一挙に「作品」と「観客」の関係へのこちらの見方も変化して面白い。人々の行為そのものを見ていくと、違う視座が開けてくるのだ。

見終わった後に、カフェへ向かう。その後、ディンとヤンさんと別れて、天安門を見に行こうという話になる。地下鉄1号線の天安門東で降りると、地下鉄駅からすでに厳重な警備や荷物チェック。地面に出ると大通りを南北に分けて天安門と天安門広場の広大な長方形が広がっている。天安門の正面には毛沢東の肖像画が掲げられている。25年前にここで大勢の若者たちが自分たちの国の軍隊に殺されたのだ、と思うと天安門に掲げられている「世界人民大団結」という大きなスローガンも虚ろな響きに聞こえる。隣の中国共産党本部前で記念撮影をしようとするが、恐ろく冷たい目をした警備の男たちがじろじろ見てくるので一瞬ひるむ。

理念と実体がどこまでも乖離してゆく世界、それは何も中国に限った話ではないが、それでも共産主義を掲げるこの国そのものが抱える「矛盾」はもはや限界を越えつつあるのではないか、とこの国家の象徴的場所での異様なほどの警備体制を見て思う。常に25年間の天安門広場で殺された人々の怒りが、国家の根源的暴力性を露にする集合的記憶となり6月4日に永劫回帰する。「天安門」という言葉を今なお検閲、閲覧している事実そのものがそれを証明している。帰りがけに10代くらいであろう若い兵士に自分のリュックがあやしい(確かに前にカメラバッグ、後ろにバックパックのフル装備で天安門をうろうろしていた)と呼び止めれ、パスポートを出せやら仕事は何だやらと聞かれる。適当な事をいってさっさと立ち去るが、なんだか腹が立つ。見た目で判断するよ。

タクシーに乗り、安定門近くのレストランで松本さんの友人、Iron(日本名、鉄ちゃん)と一緒に夕食。彼女は、武漢の独立空間「武漢青年実験室」の元メンバーで、そのときは日本のアニメや音楽が大好な女の子と言った風だったらしい(松本さん談)が、今は北京で同性愛権利団体「北京同志中心(Bejing LGBT Center)」で働いている。そういえば彼女の来ている服も、ロリータ風のフリル付きピンクワンピースで、中国では結構目立つ。

中国ではまだ同性愛者の人たちが関係をオープンにさせることが難しいので、カウンセリングやワークショップ、映画祭等の企画を行っているという話から、中国の政治弾圧や民主化の状況、民主化活動への圧力や尾行等々、日本ではあまり聞けない話も聞く。つい先日も、北京の人権派弁護士が逮捕されたという。日本も日に日に中国の現状に近づいている気がしてならない。この日は、彼女が働くオフィスに泊まらせてもらうことに。中国で同性愛者の権利活動についてや、日本の脱原発デモの映像や写真を紹介しながら夜中まで話し込む。

 

<北京滞在記:2日目>

8時頃、大きな工事の音で目が覚める。大のおっさん2人がツインベッドに横たわっている北京の朝。窓からは向かいの工事現場から金属を切るキリキリとした音、廊下からはドリルの振動音が響いてくる。12時にチェックアウトして、北京中央美術学院に向かう。北京をベースにしているアーティストのElianeに紹介してもらったミュージシャンと会う予定なので同行することに。

地下鉄を降り、駅前に泊まっていた小さなバイクタクシーに乗る。このバイクタクシーは、まるで工場で作っているかのような手作り感満載のバイクで、銀色のかまぼこ型のフレームの前半分が運転席でまさにバイクそのもの。後ろ半分は乗客用の座席。2人乗れば体が半分はみ出しそうなくらい小さいが、バイクに小さな籠をかぶせたような作りが面白い。バイクと身体を拡張していった先に新しい乗り物が生まれた、という感じだ。

ところで北京は電動バイクがとても多い。自転車のちょっと大きな形をしたものから、瓦礫や鉄くずを運べるくらいの三輪車までが電動で、とても静かに路上を走っている。あまりに静かなので、後ろから気がつかないくらいだ。それも各工場(こうば)で作っているかのような雑多なデザインもまたいい。

そうこうしているうちに北京中央美術学院に到着。中国唯一の国立美術学校だという。おしゃれな服装や髪型をしている学生が多い。大学の周りには、美術予備校やデッサン教室の呼び込みの人々が小さな椅子に座り込んでいたり、自分は絶対読まないであろう美術本をバイクの荷台に並べて校門横で売っている女性もいた。

近所のカフェでいるヤンさんという人に会う予定だというのだが、2人ともヤンさんの顔も性別もわからないままカフェに入る。とすると、30後半くらいの坊主で眉毛がへの字にさがった柔和な顔の男性が手をふる。直感的にヤンさん本人だと2人とも理解する。握手と自己紹介を一通りして、お互いのことをやりとりする。ヤンさんは、本名はYan Jungといって、元詩人、現在はノイズのミュージシャンだと自己紹介してくれたが、あとで調べると日本でも知る人ぞ知る、中国の実験音楽の世界の第一人者らしい。日本でも過去に演奏しに来日したり、大友良英とバンドを組んだりしているという。彼の授業が午後からあるというので、特別に見せてもらうことに。

教室に入ると十数名の学生と長髪でひげの背の高い先生が一人、せわしく準備をしている。彼がヤンさんを招待した映像作家/ミュージシャンのディン•シン(DingXing)。僕の大学時代の友人に瓜二つで、あっと声がでそうになる。奥さんが日本人とのことなので日本語は聞くのは理解できるとのこと。

授業は主に映像専攻の学生たちが、身の回りのものを使って音を出し、そこからオーケストラに仕上げて行こうというもの。まずは、ひまわりの種を学生たちに回して、ひたすら種のからを割って、食べるという動作を繰り返す。静かな教室にポリポリという音だけが響く。次はマイクの前に学生が立ち、買って来たスナックをセッションを始める。お菓子の種類、かじるテンポとタイミングで次々と音が生まれてくるが、特に面白かったのインスタントラーメンのすすり合いで音を奏でる時。最初は恥ずかしそうな学生たちがズズっと麺をすすつたり、食べ終わって喉を鳴らしたりと普段無意識の中に沈み込んでいる日常生活の中で身体が奏でる音を改めて聞いてみる面白さがある。最後は、お菓子を全員で食べながらヤンさんが指揮をとりオーケストラ風に演奏(食べて?)終わる。

帰りにヤンさんのワークショップのポスターが学内で貼られていたので松本さんにタイトルを訳してもらったら「ゴミにも少しの愛を。ノイズと意味の無い音を聴く」というタイトルだと判明。ヤンさんの授業内容と音への態度がここでつながって理解できたような気がする。近々、山口のYCAMで演奏しに行くよと話していたのでぜひ行ってみたい。授業後はヤンさん、ディン•シンと学生を交えてカフェで一杯。ちょうど、ディンが今晩自分の家のスタジオに泊まっていいと言ってくれたのでお言葉に甘えて泊めさせてもらうことにする。

夜に、ヤンさんが教えてくれた北京のイベントスペース兼カフェ「雑屋」に向かう。先日歩きに歩いた「鼓楼大街」から少し東に入ったところにあるとのこと。元々、道教のお寺で、スーパーマーケットとして使われた後にカフェとライブスペースに変わったという面白い経緯の建物。れんが造りで屋根瓦の古い作り。薄暗いカフェの中にはカウンターバーとロフトが備わっている。レモンのピールが入ったアイスコーヒーが美味しい。

1時間ほど「雑屋」に滞在して、外を南下しつつ散歩。裏路地を歩いてゆくが人通りが少ない場所はまだ危ない場所もあるという話だった。10時すぎにそろそろ電車でDingの家に行こうと話、地下15号線の乗り換え駅までいく。しかし、あまりにも長い乗り換えを何度も繰り返した結果、最終に間に合わず。駅近所には終電を乗り過ごした人々をつかまえおうとするタクシー、三輪車、白タクの攻勢に出会い、おもわず白タクの運転手の「80元」の一言で白タクにつかまる。乗ってからというもの30分くらい動く気配もなく、運転手はまだ外をうろうろしている。あと一人捕まえてから出発するとのこと。

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ようやく12時にタクシーが動き、スモッグの立ちこめた煤塵の中を高速で飛ばして行く。どんどん郊外に向かい、最後は畑か雑木林しかないようなエリアの一画、住宅街の入り口でおろしてもらう。誰もいない巨大な道路をとぼとぼと歩く。そこから試行錯誤の末にようやく家に到着。ディンさんが眠たそうな顔で出迎えてくれる。ごめんなさい。

地下の大きなスタジオのソファーに案内される。8mmフィルムで映像作製をしていて、自宅の地下には映写機、そして現像用の暗室も完備していた。Dingの作品を夜中に見せてもらう。白黒の抽象的な映像とノイズの曲。南の島のおばあさんたちの踊りと森の中の昆虫たち、白いブラウスの女性のイメージがスクラッチされたフィルムの上に浮き上がる。彼のバックグラウンドや作品について話しつつ夜がふけていく2日目。

LINK

「雑屋 (Zaijia Lab) 」→http://www.zajialab.org

 

 

 

 

 

 

それでも、降りた駅から北に上がると、いかにも庶民の商店街のような通りがある。バイクの周囲にボックス型のフレームを組み込んで小さな車内スペースを作ったバイクタクシーが可愛い。路上には自転車やバイクを改造して焼き鳥やまんじゅうを売る移動式屋台が並んでいる。路上でおでんを皆がすくっていたり、店先の壁に取り付けられた調理場で焼き鳥を焼いている。店の軒にはテーブルを囲んで大勢の人たちが食事と酒で楽しんでいる。裸のおじさん、白いランニングシャツの若者。やっと中国に来たのだ、という実感がわいてくる。