03.「くそったれな仕事という現象について」

D.グレーバー

Source: http://www.strikemag.org/bullshit-jobs/

On the Phenomenon of Bullshit Jobs

David Graeber

1930年代初頭にジョン•メイナード•ケインズは次のように指摘した。イギリスやアメリカのような国では、テクノロジーの進歩によって今世紀末までには週15時間労働を達成できるだろう、と。彼の予言が正しかったと考える理由はいくつもある。テクノロジー的観点からすれば、週15時間労働というのは十分実現可能な話だ。しかし、それは未だ実現していない。それどころかテクノロジーは、私たちをさらに働かせるための方法を見いだすように配置されてきたし、この目的を達成するためには、 事実上意味の無い仕事が作り出されなければならなかった。ヨーロッパや北アメリカでは特に、多くの人々が本当は必要ではないと密かに思っている仕事のために、その労働時間のほとんどを費やしている。この状況がもたらす倫理的、精神的なダメージは計り知れない。これは私たちの集団的精神にとっての脅威だが、それについて誰も語ってはこなかった。

ケインズの約束したユートピア(それでも60年代までは強く待ち望まれてはいたが)は実現しなかったのだろうか? 今日のお決まりの説明は、彼が消費主義(consumerism)の極端な増大を予測していなかったというものだ。「労働時間の短縮」もしくは「より多くの楽しみや気晴らし」という2つの選択肢が差し出されたとき、私たちは集団的に後者を採ったというわけだ。このような倫理的寓話は耳障がよいのだが、ほんの少し考えてみればそれが真実でないことがはっきりわかる。もちろん私たちは1920年代以降ずっと、多様で新しい仕事と産業が際限なく生み出されているのを目撃しているが、それらの中でスシやiPhone、かわいいスニーカーの製造や流通に関係している仕事というのはほんのわずかだ。

それでは、これらの新しい仕事とは厳密に言えば一体何なのだろうか?1910年と2000年の間のアメリカでの雇用を比較をした最近の報告は、私たちにある明快な見取り図を示してくれる。20世紀全般に渡って、家事使用人、工場や農場部門で雇用されていた労働者たちの数はおどろくほど減少していったのだ。それと同時に、「専門、経営、事務、営業そしてサービス従事者たち」は3倍にふくれあがり、「全体の雇用数の4分の1から4分の3まで」へと達するようになっていった。言い換えるならば、予測されていたように、生産にかかわる職種の大部分が自動化されてしまったということだ(もし地球規模で製造業労働者を数えた場合、インドと中国で黙々と働く人々を含めたとしても、地球上の人口の比率から見れば製造業労働者数は以前に比べて多くはない)。

けれども、世界中の人々が自分たち自身のプロジェクトや喜び、展望やアイデアを自由に追求できるための労働時間を大幅に削減する代わりに、管理部門ほどではないにせよ、金融サービスや電話による勧誘販売、会社法、学校/健康管理、人材育成、広報活動等、「サービス」部門における新たな産業全体の創出と膨張を私たちは目の当たりにしてきた。そして膨らんだ数字には、これらの産業の管理、技術、セキュリティのサポートを提供する仕事に携わる人々や、他の誰もがその他のあらゆる分野での労働に時間を費やしているという理由によってのみ存在する多くの関連産業(ペットトリマー、深夜のピザ宅配人)は含まれていない。 

これらの仕事こそ、私が「くそったれな仕事」と呼ぼうとしているものなのだ。

それはまるで、向こう側にいる誰かが、単に私たち全員を働かせ続けるためだけに無意味な仕事を作り出しているかのようだ。そして、ここにはある「謎」が存在している。資本主義において、このような事は起こるはずのない出来事だった。確かにソビエト連邦のような古く非効率的な社会主義国家では、システムはできる限り多くの仕事を作り出そうとした(だからこそソビエトの百貨店では一切れの肉を売るのに3人の店員が必要だったのだ)。もちろん、これは全くもって市場競争によって解決するとされる類いの問題である。少なくとも経済理論によれば、営利企業がもっともしたくないことは、企業が本当に雇う必要のない労働者たちにカネを支払うことだ。それでも、なぜかこのような事態が起きている。

確かに企業は冷徹な経営合理化や一時解雇を行い、モノを実際に作り、動かし、修理し、維持している人々の階級に襲いかかる速度を加速させているのだが、その一方で、誰もはっきりとは説明できないような奇妙な秘術によって、サラリーマン/事務員の数は結果的に膨れ上がり、多くの会社員たちはいつのまにか、ソビエトの労働者たちと実質的にはほとんど変わりなく書類の上で週40、さらには50時間働いている。しかしケインズが予言したように、事実上は15時間働いて、その残りの時間はモチベーションセミナーを企画、参加したり、自分たちのfacebookのプロフィールを更新したり、TVボックスセットをダウンロードしたりしているのだ。

この答えは明らかに経済的なものではない。それは倫理的、政治的なものなのだ。支配階級は自由な時間を手にした幸福で生産的な人々の存在を決定的に危険なものであると考えるようになった。もう一方で、労働は倫理的価値そのものであるという感性や、集権的な労働規範に自らの労働時間を従わせようとしない者は何の価値もないという考え方は、支配階級にとって驚くほど都合の良いものだった。

一度、イギリスの大学における運営業務の限度なき増加について考えてみたとき、私は一つの起こりうる地獄の情景に突き当たった。地獄とは、自分たちが好きでもなく、特に上手にこなせるわけでもないような職務に、自分の労働時間のほとんどを費やしているような人々の一群のことだ。ここに、優れた木工職人であるという理由で雇われた人々がいると仮定しよう。しかし、彼らは労働時間のほとんどを魚フライの調理に費やすよう求められている。少なくとも調理しなければならない一定数の魚はあるが、この仕事は必ずしもやり遂げられなければならないものではない。しかし、どうしたわけか彼らは、同僚たちは飾り戸棚を作るために多くの時間を費やしているが、魚を揚げるという責務を公正に共有しようとしていないという考え方と、それに対する憤りに取り付かれてしまう。結局、彼らの仕事場には出来損ないの魚フライが無限に積み上げられることになる。これこそ、実は誰もが実際に行っていることなのだ。

私は、これが経済の倫理的力学の極めて正確な描写だと考えている。

それでも、この種の議論はすぐにいくつかの障壁にぶつかってしまう。『どのような仕事が本当に「必要」だ、などと言えるお前は一体何様なんだ?そもそも必要ってなんだ?お前は人類学の教授先生だろう、その職業に「必要」なものって何だ?』(実に多くのタブロイド紙の読者たちは、私の仕事をまさに無益な社会的支出の定義そのものとして受け取っている)そしてある水準においては、これはまさにその通りなのだ。社会的価値の客観的尺度はないのだから。

私は、おこがましくも誰かに対して「この人々は世界に対して意義ある貢献を行っているが、あの人々はそうではない」などと説得させるような語り方をしようとは思わない。けれども、自分たちの仕事が意味の無いものだと自分自身で思い込んでいる人々についてはどうなのか?つい先頃、私は12歳の時以来会っていなかった小学校時代の友人と再会した。私が驚いたのは、この間、彼はまず最初に詩人となり、そしてインディーズロックバンドのボーカルになっていたということだ。私は彼の曲のいくつかをラジオで聞いたことがあったが、まさかそれが自分が実際に知っている人物だなどとは思いもよらなかった。彼は言うまでもなく素晴らしく、革新的な人物であり、彼の作品は疑いようもなく輝かしく、世界中の人々の人生をより良いものにさせる力があった。しかしながら、いくつかのアルバムが不成功に終わった後、彼はレコード会社との契約を失い、借金と新しく生まれた娘の世話に苦労し、最終的には彼の言い分では「計画性のない多くの人々のデフォルト的選択であるロースクール」を選んだという。今彼はニューヨークでも著名な会社の企業内弁護士として働いている。彼は、自分の仕事が全くもって無意味で、世界に対して何も貢献しておらず、彼の意見では本当はあってはいけないものであると真っ先に認めたのだった。

多くの疑問がここで浮かぶ。私たちの社会についてここで語られているのは、この社会は才能ある詩人-音楽家に対しては極めて限定的な需要しか生み出さないが、会社法の専門家に対しては明らかに無限の需要を生み出している、ということなのだろうか? (答え:もし人口の1%が自由に使える富をコントロールしている場合、私たちが「市場」と呼ぶものは彼ら1%が便利で有用であると信じているものの反映であり、その他の人々のそれではない)。しかしさらに言えば、そのような仕事に就く大部分の人々は、最終的にこのことを自覚している。実際、私はこれまでに自分の仕事がくだらないと思っていない企業弁護士に会ったことがあるかどうか定かではない。上に紹介した新しい産業のほとんどについても同じことが言える。パーティで出会う雇われ専門家階級、あなたが何か興味深いと思えるようなことをしている(例えば、人類学者)と認める人々は、彼ら自身の仕事の一連の流れの全体像を話すことを避けたがる。そして彼らに何杯かの酒を手渡すと、自分たちの仕事がいかに無意味で愚かなものなのかについて、長々と演説を打ち始める。

ここにあるのは、深刻な精神的暴力だ。もし人が、自分の仕事が存在すべきではないと密かに信じている時、どのようにして労働の尊厳を語り始めることができるというのだろうか?どうして極端な怒りや憤りを生まずにいられるだろうか?しかし、私たちの社会の支配者は、魚フライを調理しなければならない人々の場合のように、この種の怒りを、実際に意義のある仕事に従事する人々に対して直接かつ的確に向けさせる方法を熟知しており、それこそがこの私たちの社会の奇妙な特質なのだ。例えば、私たちの社会では、ある一般的な法則が存在するように思える。それは、その人の仕事が他の人々のためになることが明らかであればあるほど、その人が仕事から得る対価はより少ないものになり得る、という法則だ。再度言うが、客観的な尺度を見つけることは困難だ。しかし、一つ道理に適った方法があるとすればこのように質問することのように思う。「ある階級全体の人々が全くもって消えてしまったら、一体何が起こるだろうか?」と。もし、看護師、ゴミ収集人、整備士のような人々を挙げてみたらどうだろう。それらの人々は煙の中で一瞬にして消えてしまうことになるが、その結果は緊急かつ破局的なものになるだろう。教師や港湾労働者がいない世界はすぐさま問題が起きるだろうし、サイエンスフィクション作家やスカミュージシャンがいない世界というのも明らかに何かが劣った場所になるだろう。未公開株式投資会社のCEOや、ロビィスト、PRリサーチャー、保険数理師、電話勧誘セールスマン、差し押さえ執行官、法律コンサルタントが同じように消え去った場合、人類はどのくらいの被害を被るのかについては、まだ完全に明らかになっていない。(多くの人々はおどろくほど物事が改善させれだろうと推測している)。しかし、十分に厚遇されている一握りの例外(医者)を覗けば、この法則はおどろくほど頑丈なのだ。

さらに奇妙なことに、物事はこの法則に沿うようにあるべきだという一般的感覚が存在しているようにさえ思える。これが右派ポピュリズムの強さの秘密の一つだ。タブロイド紙が、契約紛争の期間中ロンドンを麻痺させた地下鉄労働者たちに対する怒りをかき立てるとき、この力の秘密が見て取れる。地下鉄労働者たちがロンドンを麻痺させることができるという事実は、これらの労働者たちは実際に必要であるこということを証明するものだが、この事実こそがまさに人々を苛立たせている当のものなのだ。このことは、学校教師や自動車産業労働者の膨れ上がった賃金や福利に対する怒りを動員し、目覚ましい成功をおさめた共和党を有するアメリカではさらに明白だ(そして実際に問題を引き起こしている学校経営者や自動車産業の管理職に対する怒りがなかったことは注目すべきだ)。人々はまるで「おまえは子供たちを教育しろ!さもなければ車を作れ!おまえはなんとかまともな職にありつけたんだ!そしてその上、ずうずうしくも中産階級の年金と健康保険を要求しているのか?」と言われ続けているかのようなのだ。

もし誰かが単に金融資本権力を維持するためだけに完全に適合した労働管理体制を設計していたとするのなら、そこでよりよい仕事ができるように設計していたとは考えにくい。現実に、生産力のある労働者たちは絶え間なく圧迫され搾取され続けている。その残りは、支配階級(経営者や管理者等)、そして特に金融の権化たちの視座と感受性に人々を一体化させるようデザインする立場に従って、一般的に罵られている失業者という脅かされた階層か、何も対価が支払われないより広い階層に分断される。しかし、それと同時に明らかに疑いなく社会的価値のある仕事をしている人々に対して、いまにも爆発しそうな鬱憤をも助長させている。明らかにこのシステムは全くもって意識的に設計されてはいない。このシステムは試行と失敗の世紀の中から生まれてきた。しかし、これこそが何故、現代のテクノロジーの潜在的能力にも関わらず、私たち皆が一日3−4時間労働をしていないのかという疑問に対する唯一の説明なのだ。

 翻訳:江上賢一郎  (2014. 06. 04)

 

 

 

 

02.「来るべき崩壊に向けたユートピアンの実践的指南書」

D.グレーバー

Source:http://www.thebaffler.com/past/practical_utopians_guide

A Practical Utopian’s Guide to the Coming Collapse

David Graeber

革命とはいったいどんなものなのだろう?これまで私たちはその答えを知っているものだと思い込んで来た。公正な社会という想像上の夢に従えば、革命とはそれが起きた国における政治的、社会的、経済的システムのあらゆるあり方の転換を目指す民衆の力による権力の奪取である、と言えるだろう。今日私たちは、たとえもし民主的な軍隊がやってきて街をさっそうと歩いたり、大規模な民衆蜂起が独裁者を倒したりしても、それがいかなる影響も持ち得える見込みのない、そんな時代に生きている。むしろ、フェミニズムの台頭のように、根本的な社会変革が起きる時にはこれまでと全く異なる形態を採る可能性が高い。そこに革命への夢が存在していないということではない。しかし、現代の革命家たちはバスティーユの襲撃の現代版のようなやり方によって革命が成就されるとはほとんど考えていないのだ。

このような時は、一般的にすでに知っている歴史に立ち返り、こう尋ねてみよう。これまでの革命とは果たして本当に私たちがこれまで知っていると思っていたようなものだったのだろうか、と。私にしてみれば、最も有効的にこの問いに取り組んだのは、偉大な歴史家イマニュエル•ウォーラースティンであった。彼は過去1000年の最後の四半期間に、諸革命は政治的一般概念の全地球的変換を打ち立たと述べている。

ウォーラースティンは、フランス革命の時代にはすでに巨大な植民地諸帝国によって、単一の世界市場、および単一の世界政治システムが存在していたと指摘している。その結果、パリでのバスティーユ襲撃はデンマーク、さらにはエジプト、そしていくつかのケースではさらに遠くの地域でさえも、フランスと同じくらい根本的な影響をもたらすことは十分可能だったはずだ。それ故、ウォーラースティンはワルシャワからブラジルにいたるまでの50の国々でほとんど同時に革命が起きた「1848年世界革命」へと続くことになる「1789年世界革命」について語るのだ。どの場合においても革命派は権力を奪取することはできなかった。しかし、その後フランス革命に触発され生まれた諸制度、特に初等教育の普遍的な制度はあらゆる場所で設置されることとなった。同じように、1917年のロシア革命は、ソビエト共産主義と同様にニューディール政策やヨーロッパ福祉国家の原因となった世界革命であった。この流れの最後は、1968年の世界革命であり、1848年の時のように中国からメキシコまであらゆる場所で起こり、権力を奪取することはなかったが、それでもなおあらゆるものを変えてしまった。これは国家官僚制度に対する革命であり、個人的かつ政治的な自由(このもっとも持続的な遺産はフェミニズムの誕生であった)への革命だった。

革命は、このように全惑星的現象である。しかし、さらにそれ以上のものがある。革命が本当になし得たことは「政治とは根源的に何であるか」という基本的な前提そのものを一変させたということだ。革命の結果として、これまでは全くもって過激であると考えられていたいくつかの概念が、一夜にして万人に受け入れられ、議論として流通するすることになる。フランス革命以前、例えば、「変化とは良いものである」、「政府の政策はこの変化を適切に管理することである」、「政府の権威は『人民』と呼ばれる存在から付与される」、といった考えは一部のデマゴーグや狂人たち、もしくはカフェで議論しながら過ごしている一握りの知識人たちから耳にするかもしれない類いのものだった。一世代の後には、たとえ最も堅苦しい判事、司祭、学校長ですらも、それらに対して最低限度のリップサービスをしなければならなかった。その後間もなく、われわれは今日自分たちが置かれている状況へと到達した。これらの考え方は常識(Common Sence)となり、政治的議論のまさしく基礎となったのだ。

1968年までは、ほとんどの世界革命は、選挙権を拡大し、基本的な初等教育、福祉国家等々を導入するというように、実践的な改良点を単純に導入するだけのものであった。それとは対照的に1968年の革命は、中国のように毛沢東の文化大革命を支持する学生や若手幹部が主体となる形態や、バークレーやニューヨークで行われた学生やドロップアウト組、文化的な反抗者の同盟に特徴づけられる形態、またはパリでの学生と労働者の同盟といった形態を取る場合でも、それは同じ原初の精神、つまり官僚制度や服従といった人間の想像力に足かせを掛けるものに対する抵抗であり、単に政治的、経済的生だけではなく人間存在のあらゆる面における革命化というプロジェクトだった。その結果として、ほとんどの場合で反抗者たちは国家装置を奪取することすらしなかった。彼ら/彼女らはこの装置そのものが問題だと考えていたのだ。

今日、1960年代後期の社会運動を恥ずべき失敗と見なすことが流行っている。もちろんこのような見方をすれば、そう証明することもできる。個人の自由、想像力、願望といった考え方を優先させること、官僚制度への嫌悪や政府の役割への嫌疑を持つ、政治的通念における広範な変化を直接享受することが政治的権利であったというのは、政治の分野においては確固たる真実である。何よりも1960年代の運動は、19世紀以降放棄されていた自由市場というドクトリンの大規模な復活を可能にしたのだ。中国の文化大革命の際に10代であった今の40代が中国における資本主義の導入を主導しているのは偶然ではない。1980年代以降、「自由」は「市場」を意味するようになり、「市場」は資本主義と同一のものであると見なされるようになった。さらに皮肉な事に、数千年に渡り優れた市場を有していたことで知られる中国のような場所ですら、何もかもが資本主義と呼ばれるようになってしまった。ここには終わり無きアイロニー(皮肉)がある。新しい自由市場イデオロギーは、何よりも自らを官僚制度の拒否として枠組みづける一方、現実には公的または私的な官僚制度の際限ない階層化を伴いつつ、地球規模で運用される最初の管理システムという役割を担い続けてきた。IMF、世界銀行WTO、貿易機構、金融機関、多国籍企業、NGO....これらは、厳密に言って自由市場の正当性を押し付けるシステムであり、アメリカ軍の監視と庇護の下で財政略奪の世界的自由化を容認するものである。1998年から2003年の間にピークを迎えたグローバルジャスティスムーブメントとは、地球規模の革命運動を再創造する最初の試みであり、それは事実上この世界的官僚制度支配に対する反乱であったという点において初めて理解できるのだ。

停止した未来

しかし、もし将来の歴史家たちが振り返るならば、1960年代の革命の遺産は私たちが今想像しているよりもより深い影響をもたらすと結論づけるように思う。それは、1991年のソビエト連邦の崩壊の後で、画期的で永続的だと考えられていた資本主義的市場とその世界的管理者や執行人たちの勝利とは、実際ははるかに底の浅いものであったのだ。ここで明らかな例を一つ挙げて見よう。1960年代および1970年代の反戦抵抗運動の10年が、インドシナからのアメリカ軍撤退のスピードをそれほど早めることがなかったという理由で完全に失敗だったという話をよく耳にする。しかし実際にはその後、アメリカの外交政策を操作している人間たちは、同じような大衆的不服従、さらには1970年代初頭までには正真正銘瓦解してしまった軍内部における不服従(およそ30年に渡っていかなる大規模な地上戦にもアメリカ軍が介入することを拒否していた)に直面することを非常に恐れていた。よく知られる「ベトナムシンドローム」を完全に克服するには、アメリカ国内での数千人の市民の犠牲を引き起こした9/11が必要であったし、それでもなお、戦争を画策する者たちが戦争を引き起こすためにほとんど異常なまでの努力を払ったということは、事実上抵抗の証明である。プロパガンダが絶え間なく流れ、メディアが慎重に議論の遡上に乗せ、専門家は遺体袋の数(どの程度のアメリカ人犠牲者の数が巨大な反対運動を引き起こすことになるのか)についての正確な計算を導きだし、戦闘規約はその数を常に下回り続けるよう注意深く書かれていた。問題はこれらの戦闘規約がアメリカ軍兵士の死と損傷を最小限に止めるため、数多くの女性、子供、そして老人たちが最終的に「巻き添え被害」となることをあらかじめ確約している点だ。これはイラクやアフガニスタンでの占領軍への激しい憎悪によって、アメリカは自らの軍事的目標を事実上達成できないことは間違いない、という意味だ。そして驚べきことに、戦争計画者たちはこのことを自覚しているようにさえ見える。軍事的目標の達成が問題なのではなかった。彼らは自国での反対運動を防ぐことの方が実際に戦争に勝利することよりもはるかに重要であると考えていたのだ。それはまるでイラクのアメリカ軍がアビー•ホフマンの亡霊に完璧に打ち負かされたかのようなものだ。依然として2012年のアメリカの軍事計画立案者たちの手を縛り続けているこの1960年代の反戦運動が失敗であったと考えることはとてもできそうにないのは明らかだ。しかしここである興味深い疑問が生まれてくる。このようなシステムに対する政治的アクションが全く無効であるという感覚、もしくは挫折感を作り出すということが権力者たちにとっての主要な目標なのではないだろうか?

この考えが最初に浮かんだのは、私が2002年にワシントンでのIMF抗議行動に参加した時であった。911の直後ということもあり警官たちの数は圧倒的で、それに対して少数かつ無力である私たちがこの会議を閉鎖することができるという実感はまるでなかった。私たちの多くは漠然とした失望状態に陥っていた。その数年後、IMF会議に参加した友人を持つ人物と話した際、実際にはわれわれがその会議を閉鎖させていたことを知った。警察は厳しい安全対策を導入し、会議の半数がキャンセルとなり、実際の会議のほとんどはオンライン上でなされたのだった。言い換えるならば、政府はIMF会議が実際に開催されることよりも、抗議者たちが失敗だと感じてその場を立ち去ることの方がより重要だと判断したということである。このことを考えるならば、政府は抗議者に対して非常に重要なこと提示している。

この社会運動に対する先制攻撃的な態度、つまり効果的に反対運動を阻止するやり方で戦争や貿易会議を計画することの方が戦争や会議それ自体の成功よりもより優先順位が高いという考え方は、ある一般原則をより反映させたものだと考えることはできないだろうか?もし、現在のシステムを管理している人々(彼らの多くは感受性豊かな若者として1960年代の動乱を直接体験している)は意識的にせよ無意識的にせよ(私はより意識的であると思っているが)支配的な社会通念に対して再度異議を唱える革命的社会運動の可能性という強迫観念に取りつかれているのだとしたらどうだろうか。このように考えるといろいろと辻褄が合う。世界のほとんどの場所で、この30年間は自由市場と一般的な人間の自由は究極的に同一のものであるという19世紀以来長らく放棄されてきた教義に支配された「ネオリベラリズム」の時代として知られるようになった。ただし、ネオリベラリズムは常にある大きな矛盾にさいなまれ続けている。ネオリベラリズムは、経済的必要は常に他の何物にも先立つと主張する。政治は単に市場の魔法が作用することを可能にさせることで単に「経済成長」の諸条件を作り出すだけの問題であるとされる。それ以外の平等や安心への願いや夢の全ては経済的生産力という第一の目標のためには犠牲にされるべきとされる。しかし実際には過去30年のグローバルな経済的成果は明らかに凡庸なものでしかない。1つか2つの目を引く例外を除けば(とりわけ、ほとんどのネオリベラルな処方を無視している中国)、成長率は、1950年代、1960年代さらには1970年代の時代遅れの国家主導、福祉国家的な指向を有した資本主義の時代よりもはるかに下回っているのだ。それ自身の基準からすれば、このプロジェクトはすでに2008年の崩壊以前に途方も無い失敗に終わっていたのだ。

その一方でもし私たちが世界の指導者たちの言葉を真に受けることをやめて、その代りにネオリベラリズムをひとつの政治的プロジェクトとして考え始めてみると、突如としてそれは見事に効果的なものに見えてくる。ダボスやG20のようなサミットの場で定期的に顔を合わせる政治家、経営責任者、貿易官僚などの輩は、世界人口の大多数のニーズを実質的に満たす世界的資本主義社会の創出においては惨めな仕事しかしなかったかもしれないが(希望や幸福、安心もしくは人生の意義においては言うまでもなく)、彼らは世界に対して資本主義が、それも単なる資本主義ではなく私たちが期せずして現在直面している厳密に金融化され半封建的な資本主義こそが唯一の実行可能な経済システムなのだと説得させることに対しては素晴らしい成功を収めたのだ。もしこのことを考慮するならば、それは見事な成果だと言えるだろう。

どうやって彼らはうまくやってのけたのだろうか?社会運動に対するこの先制的態度(the preemptive attitude)は、明らかにこの一部である。オルタナティブを可能にする条件が無い、もしくは誰も代案を打ち出すことができないという状況が成功と見なされる。このことは何らかの「セキュリティシステム」へのほとんど信じられないほどの投資について説明する手助けになる。大きなライバルを失ったアメリカは私設警備会社、諜報機関、軍事化された警察、警備員、傭兵の目もくらむような集積だけでなく、冷戦時よりもさらに自国の軍事と諜報活動へ出費している。そこには1960年代以前には存在しなかった巨大メディア産業を含むプロパガンダ機関が存在し警察を褒め称えている。通常これらのシステムは恐怖、対外強行主義への服従、生活の不安定、世界変革のためのいかなる思考も無益な空想だとするありふれた失望が蔓延する雰囲気を生み出すほど反体制派への直接的な攻撃を仕掛けることはない。しかし、これらのセキュリティシステムは非常に高くつく。ある経済学者たちは約4分の1のアメリカ人が現在、財産の護衛、監視労働、もしくは同胞アメリカ人を整列させる等の何らかの「警備労働」に従事している。経済的には、この規律装置の大部分は純粋な重荷になっている。

実際に、過去30年間の経済的革新のほとんどは経済的というよりも政治的なものであると考えた方がより納得がいく。不安定な契約のために保障された終身雇用を打ち切るということは、より効率的な労働力を現実に生み出すことはないが、その代わり組合の破壊や労働の非政治化を驚くべきほど効率的に成し遂げる。終わりなき労働時間の増加についても同様だ。いつも思うことだが資本主義が唯一実行可能な経済システムであると思わせる選択肢と、資本主義をより実行可能な経済システムにさせる選択肢のどちらかを選択する際、ベオリベラリズムであるということは常に前者を選択するということを意味している。その複合的な結果は、人間の想像力に対する容赦ない軍事行動作戦である。より正確に言えば、想像力、願望、個人の自由、前回の偉大な世界革命において解放されたすべてのものごとは、消費主義の領域内またはインターネットのバーチャルな関係内へときっちりと閉じ込められなければならなかった。その他の領域において、それらは厳しく禁止されるべきものであった。私たちはたくさんの夢の殺害について語っているのである。絶望の装置の押しつけは、未来の別の可能性へのいかなる感性をも押さえ込むように設計されている。しかし彼らの試みの全てを政治という篭(the political basket)に実質的に押し込めた結果、私たちは資本主義システムが崩壊していくのを目の当たりにするという奇妙な状況に取り残されることとなり、ちょうどそのタイミングで皆が他のいかなるシステムも実現不可能だろうと最終的な決断を下してしまったのだ。

そこから立ち去ること、歩みを遅くさせること

通常、もしあなたがある社会通念の正当性、つまり現在の経済、政治システムこそが唯一可能なものであるという常識を疑う際に、その最初の反動として、どのようにしてある代替的なシステム(金融商品、エネルギー供給、下水管のメンテナンスの性質に至るまで)が機能するのかについて詳細な構造上の見取り図を求められることだろう。そして次はどのようにしてこのシステムが現実化されていくのかについての詳細なプログラムを求められるかもしれない。歴史的に見てもこれはばかげたことである。一体、いつ社会的変革がだれかの青写真に沿って起こったというのだろう?ルネサンス期フィレンツェの空想家たちの小さな集まりが自分たちが「資本主義」と呼ぶもの、つまりどのようにして株取引と工場がある日突然うまく機能するようになるのかについて、その詳細や構想を実現させるプログラムの導入を理解していた訳ではあるまい。事実、どのように変化が始まるのかを、どのように私たちがこれまで起こったことを想像するのかで自問自答できるだろうという考え方はとてもばかげているのだ。

これらの全ては、何もユートピア的な視座(もしくは青写真ですら)が悪いということを言うためではない。それらはしかるべき場所に収まっておくべきなのだ。理論家のミカエル・アルバートは、近代経済が貨幣無しに民主的かつ直接参加を原理として駆動し得るその方法のための詳細なプランを編み出した。私が思うにこれは重要な到達点である。それはただ単に彼が説明する通りの正確なモデルが導入可能かもしれないということよりも、そんなものはあり得ないなどと言えなくさせたからだ。今もなおこのようなモデルは実験的なものと見なされている。私たちは、もし自分たちで自由な社会を作り上げようとする試みを実際にスタートさせた時に起きるかもしれない様々な問題について、完全に想像できていない。今現在、最も厄介な問題のように見えるものは実は全く問題ではないかもしれないし、私たちの身に降りかかることのなかった他の問題がとても困難である場合もあるだろう。そこには数えきれないほどの未知の要因(X-factors)が存在している。

そのもっとも明白な例はテクノロジーである。だからこそ、株取引と工場のモデルを考え出したイタリア、ルネサンス期の活動家たちの姿を思い描くこと自体がばかげているのだ。起きた出来事というものは、彼らが予想できなかったあらゆる種類のテクノロジーに基づいているのだが、社会は自らが動いた方向へと動き始めるが故にその一部分だけが現れる。このことが、例えばなぜこれほど多くのアナキスト的社会についての説得力ある世界像がSF作家たち(アーシュラ•ル=グウィン、キム•スタンリー•ロビンソン)によって生み出されてきたのかということを説明できるかもしれない。人は、フィクションにおいては、テクノロジー的側面とは当て推量でしかないということを少なくとも認めているのだ。

私自身は自由社会でどのようなタイプの経済システムを持つべきかを決めることよりも、人々が自分たち自身でこのような意思決定を行うことができる手段を創造することの方により関心がある。これがなぜ私がこの本で民主主義的な意思決定について多くの時間を割いて語ってきたのかという理由である。そして、このような意思決定の新たな形式に参加する経験自体が、新しい目で世界を見ることを後押ししてくれるのだ。社会常識において革命とは実際一体どのように姿に映るのだろうか?私にはわからない。しかし、もし私たちが何らかの実現可能な自由社会を創造するつもりなら、間違いなく疑ってみるべき社会通年をいくつも思い浮かべることができる。私はその中の一つ、カネと負債の本質について前の著書で詳細に研究してきた。私はそこで負債の聖年(a debt jubilee)、つまり全面的な負債の帳消しをも提案した。それはカネが実際には単なる人間の生産物、一連の約束であり、その本質は常に再交渉しうるものであるということをある程度はっきり認識させるためである。

労働についてももまた改めて話し合われるべきだと考えている。労働規律(監視、管理、野心的な自営業者の自制心ですら)への服従がその人をより良い人間にするということはない。最も重大なことは、それが人間をダメにする手段であるということだ。労働規律に耐えるというのはひいき目に見ても、時たま強制される不幸でしかない。いつか私たちがこのような労働それ自体が道徳的であるという考えを拒否した時に初めて、私たちは労働の道徳性とは実際何であるのかを問うことができる。これに対する答えは明快だ。労働はもしそれが他者を助けるものであれば道徳的である。とりわけ技術的発展がさらなる消費財の生産や労働の統制に向かうのではなく、労働のそのような形式を完全に根絶する方向に向かうようになることで、生産至上主義の放棄が仕事とは何かという本質を再度考え直すこと容易にしてくれるのだ。

ここで残るのは人間がこれからもずっとやっていける類の仕事であり、私がこれまで話してきたように最初にオキュパイ•ウォールストリートを引き起こした危機において中核となった労働、つまりケアすることや手助けの労働の諸形式である。もし仕事の根本的な形式があたかも生産ライン、小麦畑、製鉄場、さらにはオフィスの個室での労働であるかのように振る舞うことを止めて、その代わりに母親、教師、子供や病人の世話をする人から出発するのであれば、私たちは人間生活の真のビジネス(business)とは「経済」(この概念は300年前には存在すらしていなかった)と呼ばれるものではなく、われわれ皆がこれまでずっとそうであったように相互的創造のプロジェクトに貢献するものであると結論づけざるを得ないだろう。

今のところ最も差し迫って必要なことは、単純に生産力のエンジンの速度を落とすことだ。これは奇妙な話にきこえるかもしれないが、もし世界の全体的状況をよく考えてみるのならば結論は自ずと明らかだ。あらゆる危機へのわれわれのお決まりの反応では、その解決策は皆がさらに働くことを前提にしているのだが、もちろんこの種の反応こそがまさに問題なのだ。われわれは2つの解決できない問題に直面しているようだ。一方においては、われわれは1970年代以降負債の全体的な負担(国家、地方自治体、企業、個人)が明らかに持続不可能な度合いにまでますます深刻になってゆく終わりなき世界債務危機を目の当たりにしてきた。もう一方においては我々は生態学上の危機にあり、地球全体を干ばつ、洪水、混乱、飢饉や戦争に陥れる気候変動の急速な進展を目の当たりにしている。この二つは一見無関係のように見える。しかし究極的にはそれらは同じものだ。負債とは結局のところ未来の生産力のことではないだろうか?地球規模での負債水準が上昇し続けるというのは、言い換えれば一つの集団としての人間が将来において今現在生産しているよりもさらにより多くの財とサービス,を生産することを互いに約束しているということだ。しかし今現在の水準ですら明らかに持続不可能である。右肩上がりの速度でこの星を破壊しているのはこのような人間たちなのだ。システムを管理している人間たちですらある種の大規模な債務帳消し(聖年)は避けられないとしぶしぶ結論づけつつある。実際の政治闘争はそれがどのような形式を採るのかを巡って展開されていくだろう。さて、両方の問題を同時に取り組むことは明白な事ではないのだろうか?1日4時間、または5ヶ月の休暇保証という労働時間の大幅な削減に続いて、世界規模の債務帳消しを可能な限り実践的に広げてみてはどうだろうか?これは地球を救うだけでなく、(新しく見出した自由な時間の中で全員がぶらぶらして過ごすわけではないので)価値創造の労働とは実際どのようなものなのかという私たちの基本的観念を変え始める。

オキュパイが諸要求を掲げなかったことは確かに正しい、しかしもし私が要求をひとつ考えなければならなかったとしたらそれでおしまいだっただろう。結局のところそのような要求は支配的イデオロギーの最も強固なポイントへの攻撃になってしまう。負債の倫理、仕事の倫理は現在のシステムを管理している人間たちが手にしている最も協力なイデオロギー的武器である。それゆえ彼らは事実上すべてを破壊しているにもかかわらずこの諸倫理に固執する。だからこそそれはまた完璧な革命的要求を作り出すのだ。

これらすべては以前としてほとんど現実的でないように見える。今のところ地球はこのような世界を可能にするある種の幅広い倫理的、政治的な変革よりも、これまでにないスケールでの破局の連鎖に席巻されつつあるようだ。しかしもしわれわれにこれらの破局を食い止める可能性があるというのなら、私たちは自分たちのいつも通りの考え方を変えなければならないだろう。そして、2011年に起きた出来事の数々が明らかにしたことは、革命の季節は決して終わってはいないということだ。人間の想像力はどこまでも消え去ることはない。たとえ、何が政治的可能性であり、何がそうでないのかに関して私たちに最も深く植え付けられた諸前提が一夜にして崩壊してしまうことを知っているとしても、この瞬間にも数多くの人々は一斉に集合的想像力に掛けられていた足かせを断ち切るのだ。

翻訳:江上賢一郎  (2014. 06. 03)

 

 

01.「ウォールストリート占拠運動のアナキスト的出自」 

「占拠」運動は、アメリカ史の中でアナキストの諸理念に基づいた運動の一つである。

D.グレーバー

Source:Occupy Wall Street's anarchist roots

 

The 'Occupy' movement is one of several in American history to be based on anarchist principles.

David Graeber

 

London.UK- ある有名なジャーナリストから、Occupy Wall Streetについてのインタビューを受ける度に、私はある同じ説教を色々な形で受けることがある。

「もしあなた達が指導的組織や諸要求の具体的なリストを作ることを拒否するのであれば、あなたたちは一体どこへ、どのように到達しようとしているのだ?そして、合意やSparkly fingersといったアナキストのばかげた考えとは一体何なのだ?おまえ達はこの過激な言葉が人々を疎外していることに気がつかないのか?お前達のようなやり方では、決してこの運動がアメリカの大多数の人々に届く事はないだろう!」

もし誰かが、これまでになされた最悪のアドバイスについてのスクラップブックを作ろうとするならば、まさにこのような類いの説教こそ、その名誉ある地位にふさわしいであろう。2007年の金融崩壊以降、アメリカの金融エリート達の略奪行為に対抗する全国的な運動を先ほどのジャーナリストが薦めるような方法論で開始しようとする試みは存在してきたのだが、結局のところそれら全ては失敗に終わってしまったのだ。8月2日、全国的運動を準備する為に開かれた集会にアナキストと他の反-権威主義者達からなる小さなグループが現れ、アナキストの諸理念に基づいた真の民主的な集会を作り上げるために、他の参加者達をうまく予定調和的なデモ行進や集会から離脱させた。この日、ポートランドからタスカルーサまでアメリカの人々が喜んで加わりたいと考えるような運動への舞台が整えられたのだ。

ここで「アナキストの諸理念」という言葉で私が意味することを明らかにすべきであろう。アナキズムに関する最も簡単な説明は、それが真に自由な社会(それは人間が絶えざる暴力的脅迫によって押しつけられることのなくお互いの関係を自由に取り結ぶ事ができる社会のことだ)をもたらす事を目指す政治運動だということである。奴隷、負債懲役労働者や賃金労働者といった制度に見られる富の極端な不平等は、軍隊や刑務所、警察による後ろ盾がある場合にのみ存在しうる、ということはすでに歴史が証明している。アナキスト達は、軍隊、刑務所そして警察による後ろ盾を必要としない人間関係が生み出す社会を見てみたいと望んでいる。アナキズムはそこに集う人々の自由な同意に基づくことによってのみ存在しうるような、平等と連帯に基づく社会を思い描くのだ。

アナキズム対マルクス主義

もちろん、伝統的なマルクス主義もまた同様の究極的な目標を求めていたのだが、そこには決定的な違いがあった。ほとんどのマルクス主義者達は、まず始めに国家権力とそれに付随する全ての官僚的暴力機構を奪取し、それらを社会変革の為に利用する必要性を主張した。ここで重要なのは、彼らはこのような諸機構が究極的には不要になり、早晩消え去るだろうと考えていたという点だ。19世紀ですら、当時のアナキスト達は、そのような考えを全くの夢物語だとして異議を唱えていた。彼らは、戦争への備えによる平和、トップダウン式の命令系統によってもたらされた平等、または目的の為に全ての人間的な自己実現や自己充足を犠牲にするような厳格で喜び失った革命主義者による人間の幸福など、誰一人として生み出せはしないと考えていたのだ。

これは単に、「目的の為にその手段を正当化しない」ということだけを指しているのではなく(もちろんそれはそれで正しいのだが)、手段そのものが、自分たちがそうでありたいと願う世界のひな形/縮図(model)で無い限り、決して自分たちの目的を実現することは出来ないということを指している。それゆえに、ある著名なアナキストは、フリースクールや急進的労働組合から農村共同体にいたるまでの平等主義的な実験を用いて「古い社会の殻の中から新しい社会を築き上げよ」と呼びかけたのだ。

アナキズムはまた革命的な思想でもあったし、それが強調する個人の良心と自発性とは、およそ1875年から1914年にかけての革命的アナキズムの最初の全盛期において重要な考え方であり、多くのアナキスト達は、爆弾や暗殺といった形で、資本家や国家のトップ達に直接的な闘争を仕掛けた。爆弾を投げ込むアナキストの一般的イメージの由来はここにある。しかしながら、アナキスト達はまた、テロリズムという手段が(たとえそれが無実の人々には向けられないものだとしても)社会変革において決してうまくいくことは無いこという事実に気がついた最初の政治運動であったことは注目に値する。約1世紀を経た現在まで、事実、アナキズムはその主張者たちが誰一人として、他の人々を爆弾で殺すようなことをしなかった数少ない政治哲学の中の一つであり続けている(事実、20世紀の政治的指導者で最もアナキストの伝統を引き継いでいたのはガンジーである)。

しかしながら、およそ1914年から1989年の間、世界が継続的に戦争を行うか、もしくは世界大戦の準備をしている間、アナキズムは一見「現実的」だと思われる理由によって陰を潜めてしまった。このような暴力的な時代において、政治運動は軍隊、海軍や弾道ミサイルシステムを組織することが可能でなければなかったし、それこそがマルクス主義がしばしば抜きん出ている点であった。けれども、 皆が認めるようにアナキスト達は(それはむしろ彼らの名誉だと思うが)そのような暴力の組織化がまったく不得意であったのだ。巨大な戦争動員体制の時代が終わろうとしているかに見えた1989年以降になって始めて、アナキストの諸理念に基づく世界的な革命運動-グローバル•ジャスティス運動-が、再び世界に現われたのだ。

1)既存の政治制度の正統性を拒否する

さかんに議論されている「要求を出すことを拒否する」理由は、要求を出すという行為が、要求される側の正統性、もしくは少なくとも権力そのものを認めることに他ならないからである。アナキストは多くの場合、これを抗議(protest)と直接行動(direct action)の違いと考え、その差異に最大限の注意を払う。抗議とは、それがどんなに闘争的なものであっても、ある権威が異なる振る舞いをするように訴えかけるものである。直接闘争は、それがコミュニティの上手な形成に関する問題であるのか、または法に反抗して塩を作るのか(再度ガンジーの例だが)にかかわらず、会議を閉鎖し工場を占拠しようと試みることは、既存の権力構造がまるで存在していないかのように振る舞うという事を意味している。直接行動とは、究極的にはすでに私たちが自由であるかのように振る舞う挑戦的な主張なのだ。

2)既存の法秩序の正統性を否認する

第二の原則は、明らかに第一のそれに付随するものである。そもそもの始まり、つまり私たちがニューヨークのトンプキンス公園で初めて準備集会を開いた時、主催者は意図的に警察の許可無しに公共の公園に12人以上が集まることは違法であるとする地域条例を無視した。それはただ単にそのような法律があってはならないという理由でそうしたのだ。もちろん、同様の理由に基づいて、そして中東や南ヨーロッパの先例に刺激を受けて、私たちは公園を占拠することを決めた。そして私たちが人民であるという理由において、私たちは公共空間を占拠するのに許可を求めるべきでないと考え実行したのだ。これはおそらくこれまで市民的不服従の中で重要視されてこなかった形式ではあったが、私たちが法的な秩序でなく、倫理的な秩序だけに応答するという約束から運動を開始したという点で、実際極めて重要なものであった。

3)運動内部のヒエラルキーを作ることを拒否する、その代わりに合意形成に基づいた直接民主主義の形式を作りだす

まず始めに、集会の主催者達は、指導者を作らないという直接民主主義によってのみでなく、合意に基づいて運営を行うという大胆な決定を下した。最初の決定は、選出されたり強要されたりし得るような公式の指導組織を持たないことを保証した。二番目に、いかなる多数者も少数者を自分たちの意見に従わせてはならず、その代わり全ての重要な決定は満場一致で決めることにする。アメリカのアナキストたちは、長いあいだ合意形成のプロセスについて思考してきた(これはフェミニズム、アナキズムそしてクエーカー教徒のような精神的伝統が合流したところに生じた伝統である)。

多数者が少数者に対して自分たちの命令を無理矢理従わせるための手段を持たない場合、すべての決定は必然的に全会一致によって決められなければならないはずだ。アナキストの合意形成は、脅迫的な強制なしに意思決定の唯一の形式であるいう理由で決定的に重要なのだ。

4)予示的政治を受け入れる

その結果として、スコッティパークもしくは、それに続く他のキャンプ地は、民主的な全体会議だけでなくキッチン、病院、メディアセンターや他の受け入れ機関といった新しい社会の諸制度を創造する実験場となったのだ。それらは、相互扶助と自己組織化というアナキストの諸理念に基づいて運営され、古い社会の殻の中から、新しい社会の仕組みを創造することを真剣に試みる場なのだ。

なぜそれは上手くいったのだろうか?なぜ、それは人々に受け入れられたのか?一つの理由としては明らかに大多数のアメリカ人は、既存のメディアの人間が想定する以上に、ラディカルな考え方を取り入れたいとはるかに望んでいるからである。基本的なメッセージはこうだ。「アメリカの政治秩序は、完全にそして救いがたいほどに腐敗しており、共和党と民主党はともに人口の1パーセントの金持ち達によって売り買いされている。そして、もし私たちが真に民主的な社会で生きるのであれば、私たちはゼロからやり直していかなければならないのだ。」そして、このようなメッセージこそが、アメリカ人の精神の根本的な琴線に触れ、共感を生み出したのだ。

おそらく、これは驚くには値しないことであろう。私たちは1930年代に匹敵するような状況に直面している。大きな違いは、メディアがそれを執拗にこのことを認めようとしていることだ。

ここで、アメリカ社会におけるメディア自身の役割に関して、興味深い疑問が生まれてくる。

ラディカルな批評家達は、彼らが言うところの「企業メディア」は、既存の諸制度が正常で、合法的で公正であるということを市民に納得させるために存在していると考えている。しかし、今明らかになりつつあるのは、これらのメディアはそれが本当に可能だと考えてはおらず、むしろ彼らの役割はただ、増えつつある怒れる市民たちに対して、他の誰一人としてあなたたちと同じ結論に達することはないと説得させることに終始しているのだ。そしてこれは、誰一人として信じてはいないが、ほとんどの人々が少なくとも他の人々がすることに対して疑いの目を持つというイデオロギーという結果として表れてくることになる。

私たちが民主主義について語る時ほど、普通のアメリカ人が何を本当に考えているのかということと、アメリカのメディアと政治既成勢力が市民たちが何を考えているかについて語ることの分裂がはっきりと表れる場所はない。

アメリカにおける民主主義?

公式の見解によれば、もちろん「民主主義」というものは建国の父達によって作り出されたシステムであり、大統領と議会そして司法による抑制と均衡(checks and balances)に基礎を置いている。けれども実際には、独立宣言や合衆国憲法のどこにもアメリカが「民主主義」であるとは書かれていない。これらの公文書の著者たち(それはほとんどが男性であるが)は、「民主主義」を民衆の集会による集合的な自己統治の問題と定義していた。だからこそ、彼らはそのような「民主主義」に対して断固反対したのである。

民主主義は大衆の狂気を意味しており、それは血なまぐさく、無秩序で擁護しがたいものであった。ジョン•アダムスは、「自壊しないような民主主義存在し得ない」と書いたし、ハミルトンは 「無分別な」民主主義を抑制するために「金持ちと名家」もしくは、下院議員において認められるような限定的な形による恒久的な機構を作りだす事が必要だと主張することによってこの抑制と均衡のシステムを正当化した。

これらの結末が共和国(Republic)であり、それはアテネではなくローマをモデルにしたものだった。共和国は19世紀初頭になって「民主主義」として再定義されるようになった。なぜなら、普通のアメリカ人達は非常に異なる考えを持っていて、当時投票権を有する人々は、自らを「民主主義者(democrats)」と呼ぶ立候補者にどこまで投票したがっていたからだ。しかし、普通のアメリカ人とは一体何を意味していた/しているのだろうか?彼らはただ、どちらの政治家が政府を動かすことになるのかを天秤にかけるシステムという意味でしかないのだろうか?それこそ本当とは思えないのだ。結局、ほとんどのアメリカ人達は政治家を嫌悪し、政府という考え方そのものに対して懐疑的であるのだ。もし、彼らが「民主主義」を政治的理念として普遍的に抱いているとすれば、 それは普通のアメリカ人達が、たとえおぼろげな形であったとしても民主主義を自己統治として、つまり、建国の父達が「民主主義」、あるいは彼らが時にそう呼んだように「アナーキー」と非難したようなものとして見なしているからなのだ。

少なくともこれは、アメリカのメディアと政治階級の一様に傲慢な思考放棄にも関わらず、人々が直接民主主義の諸理念に基づいた運動を受け入れる事への熱意について説明する手助けとなるだろう。

事実、アナキストの根本的な諸理念- 直接行動、直接民主主義、既存の政治制度の拒否とオルタナティブな政治制度の創出- に基づく運動がアメリカで生まれたのはこれが初めてではない。市民権運動(少なくとも、よりラディカルな分派)や、反核運動そしてグローバルジャスティス運動は全て同じような方向へと踏み出していた。しかしながら、どれもが今回のようにおどろくほど急速に拡大してはいなかった。その理由の一つは、今回は運動の組織者達は、根本的な矛盾にまっすぐ向かっていったということがある。彼らは、民主主義を統治している支配エリート達の嘘偽りに対して直截的に挑んだのだ。

この挑戦が人々の最も基本的な政治的感覚へと変わったとき、大多数のアメリカ人達は深い葛藤に陥ることになる。ほとんどの人々は、個人の自由への敬意と軍や警察といった組織に対するほとんど信仰に近い自己同一化、そして市場への熱狂と資本家達への憎悪とを併せ持っている。また、彼らの大多数は同時に切なる平等主義者であり、かつ人種差別主義者である。実際のアナキストはほんのわずかであり、また「アナキズム」が何を意味するのかを知る人はさらに少ない。一体何人いるのかは定かではないが、もし彼らがアナキズムについて学んだならば、彼らは最終的には国家と資本主義を捨て去ることを切に願うだろう。アナキズムとは、単なる草の根民主主義を遥かに超えた何かである。それは、究極的には賃金労働から家父長制といった、暴力による組織的な脅迫によってのみ維持されうるようないかなる社会的関係をも捨て去ることを目指しているのだ。

しかしながら圧倒的多数のアメリカ人たちが強く感じているのは、この国が恐ろしいほどにおかしくなっているということであり、主要な機関が傲慢なエリートに乗っ取られ、ある種のラディカルな変革は長い間先延ばしにされてしまっているということだ。彼らは正しい。政治制度はあらゆるレベルで組織的に腐敗しているということを想像するのは難しい。汚職が合法化されてきたことだけでなく、賄賂の懇願や分配がアメリカのあらゆる政治家たちの仕事となってしまったのだ。激しい怒りこそがふさわしいのだ。ただ問題は、9月17日に占拠運動が始まるまで、いかなる種類の過激な解決法を提案しようとしていた勢力は、右派の側であったということだ。

過去の運動の歴史が明らかにするのは、アメリカを支配している者にとって、民主主義が出現することほど恐ろしいものはないということだ。たとえ、民主的に組織された市民的不服従がわずかな拡大するだけでも、それに対する支配階級の即座の反応は、譲歩と残虐さがパニック的に組み合わさったものだ。それ以外にどのようにして、国家規模での機動隊の動員や、特に権利の章典の日に民主的な集会に参加した市民に対する殴打、化学攻撃、大量逮捕が、彼らの罪(たとえそれがあったとしても、地元のキャンプ規制の違反でしかないような)に対する防御であったなどと説明することができるだろうか?

私たちのメディア評論家達は、「もし平均的なアメリカ人たちがOccupy Wall Streetにおけるアナキストの役割に気が付いたならば、彼らはショックと恐怖におののくであろう」などと唱えるかもしれない。けれども、私たちの支配者どもは、より根強い恐怖に苛まれているように見える。それは、もし多くのアメリカ人達が、アナキズムとは何であるのかということに本当に気が付いた時、彼らがいかなる類の支配者も必要ないとはっきりと決意する日がくるということだ。

 翻訳:江上賢一郎  (2012. 03. 09)