Oldtown of Dongguan, China

今年の春に香港に行った際に、友人Lee Chun FunとMichael Leunに連れていってもらった中国本土、広州の第三都市「東莞」の写真を半年遅れで現像。清時代から続く古い街並がまだわずかに残っていて、巨大な再開発が進むなかこの街並を守ろうと活動する若い文化活動者たちにも出会った。この古い商店街には昔からの竹細工の店があり、店の主人が軒先で竹の籠を作っていた。失われていくのは建物だけでなく、このゆったりと流れる時間や暮らしと仕事が混然としつつも調和している様子、人びとの声が交わる夕暮れの路地の姿だったりするのだ。

Pencil of Light 02: Vladivostock, Russia 2011

ウラジオストクの朝市。駐車場にトラックやバンで乗り付けて、車の前にテーブルを出して各自持って来たものを並べている。手作りの蜂蜜、ニシンの薫製、箱一杯の赤いベリー、肉厚の白いキノコ、巨大なカボチャ、目の前で切り分けられる豚肉の塊、そしてピンク色をした大きなサーモンの切り身。街が動き出す時間。

OKINAWA STAIRS

那覇の街の階段たち。建物から半分飛び出したようなかたちで、シンプルな造形だけれども見飽きない。階段の踊り場にふと立ち止まって、欄干を背にちょっと寄りかかりたくなるような、そこで一服したくなるような。上り下りの日々の運動のリズムの中に入りこむフェルマータのような踊り場。
 

小倉角打放浪記

先週、キルギスのドキュメンタリーを作っている博多っ子純情ことAtsushi Kuwayamくんが案内してくれた「北九州角打ツアー」が、やたら楽しくて印象深い街歩きの経験だったのでちょっとした備忘録をここに。

知っている人も多いとは思うけれど「角打(かくうち)」は、普通の酒屋で酒を購入して、そのまま店内で飲むことのできる場所のことだ。飲食店ではなく、酒屋で販売した酒をお客さん達(勝手に)飲んでしまうというアクロバティックな解釈によって成立している酒屋。酒を飲むことに関わる既存の法規制から限りなくずれてゆこうとする態度がすでに挑戦的ですらある。

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でもそもそも角打が北九州で流行った理由は、実にこの街の実情に合ったものだった。鉄と石炭の街、北九州では八幡製鉄所をはじめとして日中夜問わず稼働する工場が多く、そこで働く労働者たちは交代や休憩のわずかな時間に酒屋に入り、そこで1,2杯注文してさっと飲み干して帰ってゆく飲み方をしてたという。そんな彼らのニーズから生まれた酒と社交の場が角打であり、今でもここ北九州にそのような場が点在している。工場の衰退と共に少なくなってきているというが、それでも他の地域に比べたらまだまだ多い。労働者たちの労働と暮らしのリズムが生み出した「街飲み文化」だと言える。そういえば人類学者のグレーバーも、良き文化というものは、すべからく労働者階級が生み出して来たのだと話していたっけ。うんうん。

そんな角打ツアーに、韓国人の友人で文化経済政策の若手研究者リュウくんと、福岡に滞在研究している釜山発展研究所のオウ先生を誘ってみた。最初は大勢でわいわいと居酒屋的イメージで考えていたけれど、外の人間が大勢で入るのは無粋ですよ、というアツシ君の助言もあり少人数で行くことに。北九州の角打は初めてだったけれど、どこの店も本当に面白い。外見は普通の酒屋。大正初期から営業している由緒正しき酒屋の店内にはカウンターがあり、昼過ぎにもかかわらず近所のおっちゃんたちでにぎわっている。お店のおばちゃんにことわって、ビールを冷蔵庫から自分で取ってくる。つまみは缶詰や乾きもの、そして簡単な自家製の小料理の品ぞろえ。大瓶のビール2本とつまみ2点くらいで1000円ちょっと。で、4人の大人がにやけた顔しながら、韓国式でビールを注ぎ合う午後3時。

リュウ君曰く、韓国にも南部の方には立ち飲みで飲む店があり、その呼称を「통영다치(トンヨンダチ)」と言うので、「Tach-Dachi」という似た音 が共通して入っていたり、天ぷらやタコの干物等のつまみの類いが似ていたりと何かしら共通するものが多々見つるという話で盛り上がる。これは面白いという ことでオウ先生と韓国南部と北部九州の酒と食の民衆交流史の地層を掘ってみようという話に。韓国には「酒を飲むなら昼の酒」というありがたい言葉まであるらしい。

そんな風にして、次から次に吸い込まれるように酒屋に入っていく。ほろ酔い気分で若松の人通りの少ない商店街を歩いていると、あの空家で何をしようかしら、おやこっちのビルはまたいい造りだなぁ、ゲストハウスにちょうど良さそう、などと都合の良い妄想も膨らんでゆく。雨上がりの夕暮れ時、若松の街並が淡いオレンジ色へと塗り替えられてゆくその一瞬、過去にこの街に住んでいた人たちの声や姿が、路地を透かして浮かんで見えてくるようにな気にさえなる。路地に隠れていたゲニウス•ロキたちが、「うつつと夢」の間に漂う自分のまなこの前をさっと横切っていく。今はどんなにさびれていようとも、このように過去を想起することで、かつて見た/まだ見ぬ/見るかもしれぬ街の相貌(by アツシ君)が、アスファルトののっぺりとした空間を突き破りタケノコのようにあちらこちらにニョキニョキ生えてくる。

酒に酔いつつ街を歩くことは、都市の、街の経験を変容させる。機能と記号の配列がほどけ、緊張を強いられた身体は解放感に満ち、だんだんと地上から少しずつ足が離れていく。無目的かつむやみににうろうろしてしまう。そう、自分を含め、街を構成しているあらゆるモノが弛緩し、 2つの境界線があいまいに入り交じる。もちろん、それはただ私自身が酔っているからに過ぎない。でも泥酔ではない。その手前で留まりつつ、街のなかで正気と夢のあいだを歩く。

若松から戸畑へ渡る連絡船の甲板席に吹く潮風が心地よい。夕暮れ時、戸畑駅のホームで偶然、アツシくんの友人でドキュメンタ リーを製作中の荻野さんに会う。元々京都育ち、建築畑で、今は北九州の平松という漁師地区に6年間住み込んでドキュメンタリーを撮影しているという。そこまで徹底して日々の暮らしの有り様を記録しようとする姿勢に、背中の深いところを打たれたような衝撃を受ける。どんな映画になるのだろう、観てみたい。そのまま半ば強引に(?) 、門司の角打へ行きましょうとお誘いして、みんなで夜の門司港へ。今日最後の角打、門司港にある「魚住」は、小さい店だが30分ごとにおいしいお通しを並べてくれる、素敵な隠れ家のような店。母方が門司で、よく近所に遊びに来ていたにもかかわらず全く知らなかった。来て良かった。

最後の締めは、北九州の人間で知らないという人はいないという小倉駅前の名店「白頭山」にて100円ビールとホルモン焼きで、合計8時間に及ぶ小倉角打放浪記は終了。

角打の店に入ると、たいていその地域に詳しいおじさんやおばさんがいて、過去のに街の情景と人びとの姿を生き生きと話してくれる。その土地に生きる人たちの集合的記憶が、酒とともによそ者の自分の身体にも染み込んでいくかのようだ。そうか、このように街を、人びとの歴史を、暮らし知る回路もあるのか、と恥ずかしながらも改めて素朴かつ新鮮な驚きを得る。過去の街と人びとのイメージ•記憶に至る「敷居」としての角打。言葉と身体と酒。店に入る時は控えめに、でも店から出るときは愉快な足取りで。

角打とは都市の句読点なのかもしれない。それは労働の規律がキリキリと締め付けていた身体を解きほぐし、頭の中で狭められていた夢想の陣地を解放し、硬い足取りを千鳥足に変えてゆく。そして、この句読点の穴のなかで、ゆっくりと自分たちの時間を回復させてゆく。句読点なき都市は、無人工場の延長でしかない。正気の白い光が降り掛かる真昼時、角打に集まる「遊歩者(フラヌール)」たちは路上一つ一つのカーブを味わい、二重にぼやけた小道の上で不思議なダンスを舞い、都市の幽霊を再び呼び込む。あるひとつの街とそこに生きる/生きた人びとの過去=記憶と<今、ここ>で出会い直し、共に飲もうと思えばこそ。

 

「夏風や角打の背を押しにけり」 折尾の角打の軒先で、風鈴につり下げられていた一句(詠み人知らず)。

※ ということで、ぜひぜひ若松•戸畑•小倉の角打ツアー第2弾をしたいと思っています。一緒に行きましょう!

活化廳 (Woofer Ten) 02

 アートスペース「活化廳 (WooferTen)」は、油麻地、上海街に面したショップハウスの一階にある。アートスペースを名乗ってはいるけれども、いわゆるホワイトキューブと呼ばれるような白くてミニマルな空間とはいささか様相が異なっている。

ガラス窓やドアにはいつも壁新聞、告知文、新年のお札やらがぺたぺた貼られている。前の歩道には手作りのベンチが置かれていて、通りがかりのおじさんたちが座っていてガラス窓の壁新聞を眺めていたり、中国本土から観光に来た家族が腰かけてご飯を食べているが、アートには全く興味がないという様子だったり。黒いストッキングとヒールを履いた客引きの女性がWooferTenの外の壁に体を傾けつつ客を見定めている時もある。ドアを開けて中に入ると、地元のおばあちゃんやおじいちゃんたちがお茶を飲みつつ新聞を読んでいたり、中東から来た移民の子供たちが床で絵を描いたりする。路上の光景が、まるごとそのまま室内に入り込んで来たかのような空間なのだ。

室内には一目でアート作品であるとわかるようなものは見当たらない。緑色の壁には自分達で作ったポスターや張り紙があるが、内容はどうやら油麻地の地域コミュニティでの話し合いの記録のようだ。本棚があり、ベンチも置いてある。長方形の室内の真ん中には銭湯の番台のようなスペースがあり、運営メンバーは眼前に広がるに雑多な光景を横目に事務仕事をしている。低い階段を上がるとそこは地元の伝統的な看板、花牌を作る職人Mister Wonの仕事机がある。アートセンターの中に職人のおじさんの工房が入っているのだ。運営メンバーでアーティストでもある、リー•チュンフォン(Lee Chung Fong) は「いやー、最近はもう近所の人たちにオキュパイされちゃってねぇ」とのんびりとした口調で話す。そう、ここは街の人たちに見事にオキュパイされたアートセンターなのだ。

 WooferTenの外観

WooferTenの外観

WooferTenは2009年から「アートはどのように地域コミュニティの活性化に寄与できるか」というテーマでこの油麻地を中心に活動している。組織としては香港芸術發展局の支援を受けているNPOで、現在の中心メンバーはアーティストのLee Cung Fung、Vangi Fongと書家/料理人のLoland Ripの第二世代だが、その他のメンバーたちや地域の人々、そして香港のアクティビストたちが共同でこのスペースを使い、展覧会やトークイベント、ワークショップを行っている。そういっても、WooferTenのコミュニティプロジェクトで商店の売り上げが上がったり、お客がよそからわんさか来る、ということは特段ない。油麻地の公園で手作り運動会をしてみたり、(香港ではおなじみの!)ゴキブリの小さなミニチュアを作るワークショップを開いたりと以外と地味だ。

WooferTenはまた、コマーシャルギャラリーの多い香港で、政治的表現や社会問題を扱った企画や展示を積極的に行っている。「64件事」は、天安門事件の記念日である6月4日に、当時の民主化運動の学生の服装をして自転車に乗り、香港の町中を巡るというクリティカルマス(Critical Mass:社会変革を意図した公共の場における集団行動)的アクションも行っているし、天安門事件をテーマにした絵画展は香港でもスキャンダラスな話題となった。

そうは言ってもWooferTenのスペースそのものが特定の政治的な指向性を帯びているというわけではないし、特段、政治的メッセージが明瞭な作品を作っているというわけでもない。新年の蚤の市をしてみたり、ペットボトルで作るガーデニング用品のワークショップをしたり、新年の書き初めをしていたりと案外普通なのだ。その理由を聞くと、「活化廳は、この街で仕事や生活を営む人たちとアーティストが一緒にコミュニティや関係性を造り出していくための色の無い容器みたいなものだから、どちらからというとオブジェよりもこの場所で生まれてくる関係そのものが作品だと思うよ」とLeeFungは答える。

 WooferTenのメンバーたち

WooferTenのメンバーたち

WooferTenのホームページでは、このスペースの意図についてこう語っている。

「活化廳」是一個由十多位本地文化藝術工作者共同營運的藝術組織,期望以持續性的對話建立一個「藝術/社區」彼此活化的平台。置身於上海街,一個充滿本土特色卻又面對變遷的社區,「活化廳」期望試驗一種建立在生活關係的「社區/藝術」,並藉著不同主題的藝術計劃,引起人們對藝術/生活/社區/政治/文化的思考和討論,亦藉以打通社區豐富的人情脈絡,帶動彼此的參與、分享和發現,勾勒一小社區鄰里生活模式可能」

(グーグル日本語訳)

「活性化ホール」は約10名の文化芸術に従事者たちが共同運営する芸術組織で、「芸術/コミュニティ」の継続した対話を通じて、お互いに活性化していくためのプラットフォームを作り出すことを望んでいます。上海街を拠点とし、地域の特色を残しつつ、なお変遷を続けて行くこのコミュニティと向き合い、「活化廳」は生活関係の中で「コミュニティ/芸術」を作り出す実験や多種多様なテーマのアートプロジェクトによって、人々の芸術/生活/コミュニティ/政治/文化に対する思考と討論を引き起こし、それによってコミュニティ内の豊かな人々の情動によるつながりを生み出し、お互いに関わりあうことを通じ、小さなコミュニティの生活モデルを発見し、共有したいと望んでいます。

台湾のキュレータ、Alice Koが作ったWooferTenの活動についての短編ドキュメントはWooferTenの地域コミュニティとの普段の関わりや、香港の都市再開発と文化の問題についての語りを記録している。

WooferTenの活動の特色は、芸術を軸に据えつつも、芸術と社会の対話を促すための共通の土台(プラットフォーム)を作り出す役割を果たそうとしていることだ。普段は近隣のちょっとした問題や相談事も引き受ける町の公民館であり、同時に、香港が抱える様々な問題を議論するローカルな政治フォーラムでもある。そして日々の継続的な人々の繋がりや出会い、対話、そしてこの地域に残る文化や価値観を様々なメディア(プロジェクト、展覧会、壁新聞等々)を通して表現、伝達していく。油麻地で働く人たちの仕事にフォーカスしたトロフィを作り、それを手渡して行くというプロジェクト「多多獎.小小賞(Few few prize, Many many praise)」は、普段から当たり前のこととされている様々な都市労働の価値を再発見する試みであるが、ここではアートがトロフィーという姿をとることで、人々の普段の仕事への意識を促すメディアとしての役割を果たしていて、結果的に人々の焦点が「トロフィー(作品)」よりも「人」に移るよう意図されている。作品よりも人。

芸術が社会や政治的意識と切り離されたとき、そこには確かに美しいがそれ以上に人間の生の生々しさ、具体性、個別生、そして世界における様々な矛盾を捨象した空虚な抽象性を感じ取らずにはいられない。香港の今最も深刻な問題の一つである、新自由主義的都市開発は、この「抽象化」の具体的な様相でもある。人々の暮らしと生存は極めて不安定な競争主義的社会環境にさらされ、自己保存とカネを至上価値とした価値観の中で半永久的に競争し続けなければならない。それは社会的関係の構築ではなく、その崩壊を加速させる。結果的に生み出されるのは無関心と無責任という非-人間的態度の常態化した社会なき世界だ。

もし芸術が、個人の神秘的な創造のプロセスだけに限らず、人間の様々な価値の創出とその実践でもあるとすれば、美的•感性的情動の熱量を、資本主価値(カネ)とはことなる価値の創出や社会変革のイメージの生産、消えてゆく文化を守ることに費やすことは何ら不思議ではない。自らの創造性を「オブジェとしての作品を作る」ことよりも、「社会的諸関係の生産/再生産」に投入すること。そこで生み出された関係性そのものは目には見えないが、そこに生きる人々の間で変化し、生成し、共有されたものとして確かに「経験される」ものとなり、その継続が人々の行為と思考を変化させ、「生活」を形作り、ひいては「小さなコミュニティ」を新たに想像し、実現させていく力につながってゆく。WooferTenは、このように「社会/芸術」の関係のあり方を「生活」の中で作り出すための小さな社会実験の場だと言えるだろう。(つづく)