<北京滞在:6日目>

内モンゴル出身の青年Sが、午後にオリンピック公園で野外音楽イベントがあるから一緒に行かないか?というので地下鉄で合流する。バックパックをからってやってくる姿は、90年代の日本人バックパッカーそのもの(松本さんは、遅れて来た全共闘世代との評)。オリンピック森林公園に到着、北京はなんでも巨大だが公園もその例に漏れず。公園から南に幅30メートルはあるかという巨大な道路が一直線に続いていて、向こう側にぼんやりとオリンピックスタジアムが見える。公園入り口には樹木にかたどった巨大な銀色のタワーがそびえている。

玄関口に楽器を持った人たち集まっているが、黒服の我々3人とはあきらかに雰囲気が違う。どちらかというとさわやかな大学生や若者という感じ。Sに聞くと、初めて参加するイベントなのでどんな感じなのかわからないし、知り合いも一人もいないという。内容がまったく見当もつかないイベントに自信満々に誘ってしまうところが彼らしい。

炎天下の巨大な公園内で人々の行列についていく。さすがの彼もこれは違うと思ったのか「面白くなさそうだから帰ろうか?」と心配そうに尋ねてきたが、時既に遅し。戻る気力もないのでそのままついて行く事にする。20分歩いてやっと小さな丘のような場所に到着する。皆が輪になって座るので、その環から外れるように木陰に移動し、 持って来たシートを広げる。

Sがバックパックからおもむろに缶ビールとパックに詰めたリンゴ、桃を取り出す。野外音楽フェスを満喫する気 満々だったのだ(実際はピクニックだったが)。それでも近くの見知らぬ人にシートに座ることを進めたり、リンゴをあげたりしている。なんのてらいも無く、自分が持っているものを誰区別無く共有しようとする彼の行為にはっとする。日本で自分が普段そのようにしているか、と自問しても答えはNoだ。青年Sのアナキズムへの情景をここでかいま見た気がする。

そうはいっても音楽はフォークやポップス等軽めの曲を皆が順番に弾いて行くというものなので、さしてすることもなく昼寝の時間に。でも、休日の午後に公園であつまって音楽を演奏して楽しむ中国の人々の姿はとても良かった。

嫌中、嫌韓とかのたまう日本の出版、テレビメディアはこのような光景を伝えないだろう。ほんとうに日本の中だけで流通している東アジア世界への見識の低さ、下劣なイメージ作りはひどい。最低でもその国の人々の暮らしを見て、自分の足で歩いて、現地の人たちと腹を割って話せ、と独りで憤りながら歩いていた。

公園を出て大通りを少しあるく。向こうにオリンピックスタジアムが見えるのだが行けども行けどもつかない。地下鉄に乗るとSが夕方、自分の住んでいるエリア、湖洞を案内したいということで、案内してもらうことに。昔ながらの胡堂(フートン)と呼ばれる地区には、四合院という中庭を基点として4面の部屋に囲まれた伝統的な住宅が残っている。Sは歩きながら、66年からの文化大革命がいかに中国伝統の文化、価値観を破壊して、現在の拝金主義を作ってきたかを英語と中国語を混ぜて僕らに一生懸命伝える。「日本軍が占領した時にですら、街並は破壊しなかったのに、共産党は寺院や庭を大量に壊して、道徳や価値観までも破壊しようとしたんだ。で、昔は礼節を重んじていた中国人は、見ての通りみなが粗暴なってしまったんだ。」とため息まじりに話す。

彼の家に向かうのかと思いきや、なんとゲストハウスに宿泊中という。もう上京して3年いるみたいだけれど、アルバイト(焼き鳥を店先で焼いたりバーの店員 だったり)をしながらゲストハウスの常連になってしまったとのこと。ゲストハウスで少し休み、その後Sの自転車に一人づつ乗せてもらって安定門まで向かう。道路沿いにおかっぱ髪の女の子が待ってくれていて、そこからアートスペースに連れて行ってもらう。Elaineの友人でChenChenというまだ 20台前半の子。元HomeShopのメンバーだっが、場所が無くなった後に別のスペースを見つけて2人で運営を始めたという。名前は日本語でいうと「デコピン」。床は一面畳敷きで、すぐにあぐらをかけて居心地が良い。身体的なワークショップをするので、床よりも畳を自分でデザインして注文したという。

その後、安定門でElaineと合流。夕食を近くの火鍋屋で食べる。香港のジャーナリストとChenChen、鉄ちゃん、松本さん、Elaineと僕の5人。 テーブルの向こう側には、上半身裸で鍋をつついている4人の男たち。どうやら「男が上半身裸になるのは北京流」らしいが、室内はさすがに初めて見た、とみんな口をそろえて話していた。