沖縄滞在記 2013.12.28

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那覇市内のジュンク堂で作家、活動家である知念ウシさんの新著「シランフーナ(知らんぷり)の暴力」の出版記念トークに連れて行ってもらう。恥ずかしい話だけれど、知念さんの活動や著作を知らないままトークを聞きに行った。時々使われるウチナーグチは友人の宮平さんが口頭で訳して教えてくれた。知念さんから発せられる言葉(日本語)は、植民地宗主国としてのヤマト(日本)の姿をくっきりと浮かび上がらせ、ウチナンチュ(沖縄人)とヤマトンチュ(日本人)の間の構造的不平等を鋭く、かつ容赦なくえぐりだす。自分が意識する/しないにかかわらずヤマトンチュ(植民地主義者としての日本人)に出自を持つ人間であることをヒリヒリと自覚せずにはいられなかったし、その場から身を隠したいたいとも思った。ヤマトの植民地的精神は、沖縄が持っていた固有の価値の否定と、ヤマト的な価値観のすり込みを同時に行ってきたと知念さんは指摘する。この植民地主義的関係と価値の否定/内面化によってかき消されているのは、今現在においては「日本人が受け入れたアメリカの基地を沖縄に押し付けるな」という沖縄の人々の声であり、逆に増長させているのは、それを「基地に依存している沖縄経済」や「基地のカネを当てにしている」そして「基地=沖縄の内部問題」へとすり替えるヤマトの家父長的かつ欺瞞的な「沖縄の他者化」である。

県外基地移設という主張がラディカルなのは、この主張が鉄到底美、基地問題そのものが日米安保と日米地位協定を結んだヤマトの政府、そしてそのヤマトの人間たちの問題(つまり本土に住む自分たち自身の問題)であるということをはっきりヤマトに住む人間(日本人)に突きつけるからだ。日本人が沖縄の基地問題に無関心、シランフーナ(知らんぷり)であり続けることは植民地差別への積極的な加担だとはっきりとここでは語られている。このような語りを東京や福岡で聞く場合、それはオーディエンスの大多数が日本人であるが故に半ばシンパシーと包摂がないまぜになったような受容をされてしまうが、ここ那覇ではそれはある切実な実感を伴って共有されていく歴史的磁場が存在している。また、「基地をなくすようにがんばりましょう」と沖縄の人たちに語る本土から来た平和運動の人々の言葉の中にも「基地」を沖縄だけに押し付けようとする心性が透けてみえると語る人もいた。

日本人であるということはポジショニング(立ち位置)の水準において、植民地の宗主国として沖縄の人々に対する不均衡かつ抑圧的な関係の押しつけによって成り立っているのだと日本語で整然と突きつけられることで、自明で不問のはずであった「国内の旅として沖縄に行く」ということが、「日本人である自分」が「歴史的従属関係の関係」の延長線上にあって「琉球」に足を踏み入れているのだと気づかされた。たしかに日本人と沖縄人のポジショニングの問題をある意味で決定的な断絶点として描く知念さんの言葉からは、両者の連帯や相互理解への希望は見いだせないし、そこにある種の共約不可能性のシニシズムも感じずにはいられない。しかし、この断絶を引き起こしたのは間違いなく日本人の方なのだ。これまでただ「沖縄」問題と思って外部化し、不問にしていた自分に多くの問いが一気に還流し、まだぐるぐると頭が揺れている。日本語の発話を通じて、このように日本語そのものの権力性を内的に突き崩そうとする強い言葉に出会ったのは始めてかもしれない。それは、本土から来た自分を繰り返し執拗に問いに付す言葉だったのだ。